サンパウロ 梅崎 嘉明
高千穂に八紘一宇の塔たつと聞きし日ありきいまはまぼろし
軍籍は持てど戦爭を知らぬ父日本は敗けぬと言いつつ逝けり
大本営のラジオを聴きし友人は馳せきて日本の大勝を告ぐ
飛行機を搭載可能の潜水艦建造せしとか戦わず消ゆ
黄金藤の花過ぎ葉陰に数多見ゆ莢実(さやみ)は時代にかかわらず垂る
「評」確としてゆるぎない写実主義作家。
サント・アンドレー 宮城あきら
それぞれに公園の中のウォーキング夕日を浴びて汗も拭わず
杖ついて汗をにじませ黙々と公園の歩道歩みゆく人
足重く杖を支えに進みゆくその乱調のあわれ愛しむ
その一歩また一歩をと響かせておのが力となすがごとくに
見あぐれば樹々の梢に夕日さし公園の歩道に風の清しき
「評」上の句をささえた下句の据えが旨い。全体に宮城氏の流れがある。無意識のうちに大和言葉の原点を受け継いでいるのかもと思わせる。
グワルーリョス 長井エミ子
ほがらかにあいづちのみはうつけれどうつの日もあり風に飛ぶ雲
夫の事子供の事に孫の事語りて思うでも孫は無し
今日も又暮るる冬日の早きかなひそりと過ぐる暮しのリズム
ケーキ屋の白き明かりを目の端に戦い続くジアベッテかな
※『ジアベッテ』は糖尿病のこと
その昔子の包まりし古毛布今どっしりと老犬の下
「評」自身の動きの中に捉えつづける、現代短歌。一首目下の句、二首目『でも孫は無し』、つづく三首しかり。こうした作品に目を向けるとき、『流行短歌』の謗りから脱しきれるのだと思う。
サンパウロ 武地 志津
夏場所の序の口にして白鵬の逸ノ城関に脆くも屈す
順調な滑り出しなるも魁聖の後半戦に落としゆく星
唯一のサンパウロ市出身魁聖の更なる健闘つぎに期待す
力強い相撲が持ち味照ノ富士敢闘賞を三たび手にする
若輩のモンゴル出身照ノ富士優勝を遂げ大関昇進
「評」この国のフットボール選手らが一時期W杯に輝いたのも、貧寒の層からだったと言えば叱られるかも知れないが、豊かな国からは、相撲にしろボクサーにしろ強力な者は減って行く様な気がする。その時代のその瞬の勝負にかけるしかない。然しその国の傳統の美の表現だけは語りつがれて欲しい。
バウルー 酒井 祥造
空気澄むこともなからむ千万の人住む大都朝も曇りて
花の色冴えぬ街路樹さもあらむ夜昼となく車すぎゆく
樹林地に咲く花の色知る吾に美しからぬ街路樹の花
人ならば耐え得ぬものを昼夜なくガスにさらされ街路樹の立つ
美しと路行く人は花仰ぐ川辺の路に茂る街路樹
「評」自然人、酒井祥造の作品はまさに反都市中心主義を貫いている。全て理に叶っている。何でもかんでもと依怙地な人ではない。穏やかで幅の広い、宇宙的な心の持ち主だからこそ右の様な作品が湧いて来るのだ。
サンパウロ 相部 聖花
孫娘出産祝いに頂きし蘭十年目の花は開きぬ
咲き終えし菊の花枝剪定す低きに緑の若葉現わる
道の辺でちぎりし赤きコーヒーの実が根付きたり本植えをせん
ハチ公没80年目の資料展世紀の忠犬顯彰さるると
現世での卆業間近にある日々を明るく励まん来世への途(みち)
「評」昭和一桁の生れにとって皇国史観を大戦と共に打ち込まれた世代に、急転戦後の民主主義。損と言えば損、体験としても惨い世代であった。だからこそ、十年目の開花、剪定の後の若萌、手遊びに採った実の発芽をも見逃さないのも、来世への途なのだ。そんなことどもを五首の中に感じた。
サンパウロ 坂上美代栄
祖父の付けし吾が名の漢字の座りよしと詳しき友はしきりに褒むる
おじさんにおばさんと呼ばれふり向くに田舎へ帰える旅費を無心す
サンパウロは初めてと言うが以前よりこの界隈をうろつきいる人
爽やかな田舎はあれどこの人に憩の日など巡り来ぬのか
休みなく続けてをればひょっとして駒が出ぬかと短歌を続くる
「評」継続は力と言うが、それだけで生きる糧となるのだと思う。一文にもならぬ歌にはまり込んでやめる事も出来ぬまゝ、六十年近くなるが、瓢箪から駒が出ることもなく、傘寿も過ぎた。それでも「その他に何がある」との声が聞こゆるからだ。
ソロカバ 新島 新
バス降りて肩を寄せ合いおしゃべりをしつつし来るお手伝い達
仲間外れにされしがに一人離れて来るお手伝いあり何んの心ぞ
お手伝い朝の時間は同じでも退ける時間はまちまちのよう
コンドミニオは居心地のよいと見え残る燕の数多なるかな
※『コンドミニオ』はマンションのこと
屋根にウルブー蟻塚に穴梟絵心あらばと思い見て居り
※『ウルブー』はハゲタカのこと
「評」何んでもないものの瞬間を捉らえ人の心に訴える作品をめざす、と言うより心のひらめきが迸り出る、そう感じさせる作意のない作者だと思う。
サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ
好評を受けて喜ぶ吾を見て神は如何なる表情なさる
家の光『特集日本の生命』を読みてつくづく大豆見直す
フェジョンよりずっとおいしいこの大豆自分で何にも出来ないけれど
欠伸の声大きすぎると注意さればあちゃん慌てて口を抑える
熱心にカルモの桜の世話なせし君はこの頃如何におわすや
二人してカルモの桜見にゆきし日を思い出してる五月上旬
「評」ブラジルに移住して五十五年。ようやくと言うか事のはずみでか、NHKを見たり聞いたりしている。良し悪しについては、半々の気がする。豊食日本の食文化も、あるいは行き過ぎの気もしたり、食うか食はぬかの生活の記憶しか残っていないからだろう。この国の大豆、玉蜀黍はじめ動物蛋白質も今は欠伸が出るほど。『衣食足りて礼節を知る』日本人のあかしとしてこの国の桜を愛ずるのだ。
バウルー 小坂 正光
招待受け楽書倶楽部の五周年の親睦会に初に参加す
偶然にも歌壇の重鎮・梅崎氏と隣りに座して言葉頂く
倶楽部誌で名のみ知りいし大勢の日系文士と一堂に座す
晩秋の早朝一片の雲見えず天涯碧空鏡の如し
放映の新日本風土記の民謡の妙なるリズムに胸熱くなる
「評」地方にこそ、日系コロニアの根源があるように思う。それは頑なほどに教え込まれた、子供移民達のつながりが生きつづけているからと思う。日本でも、この頃都市中心主義から、地方復帰を言うようになっては来た。その現れが『新日本風土記』なる放映として『胸を熱く』する。
サンパウロ 武田 知子
日通の仕事丁寧引越しに四日かゝりて娘の家に臥す
その最中秘書は骨折車椅子働けぬとて辞表のとどく
あなどりし寒さに風邪を引く羽目にレントゲンのはて点滴となる
顔が腫れ耳もとまでも疼き来ておたふく風邪の併発なりと
老齢のおたふく風邪とて安靜を強いられしまゝ食事も細る
「評」急激な寒波、小生ども二人してへたばっています。武田様折角の御摂養を、祈り上げます。
【「南船」掲載 一九六九年 長谷草夢歌】
雨だれの落つるくぼみに石ころの幾つかありてぬるる靜けさ
いなのめの明けゆく頃の靜かにて白きむくげの花皆ひらく
曇天のからすの声は人類をのろへるものの如くにきこゆ
物の音の絶えたる頃におのづから独りの我となりて目ざむる
梅雨あけて緋椆の花のきらきらしうつつなる世になお生きてあり
小さなる地震の如く揺り過ぎむわれの一生を人もとがむな
無に生じ無に帰りゆくうつせみのこの世なるこそあはれなりけれ
長かりし勤めの跡を思ふとき息もつまるが如くなりけり
(五十代初)水甕同人