『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも―阿部仲麿』
この和歌は『百人一首』の中にある詩だが、仲麿が16歳の時(716年)、遣唐使留学生に選ばれ唐に入りました。仲間が日本に戻った後も唐に残り、玄宗皇帝から籠をうけ、30年以上も滞在した後、来唐した遣唐使と一緒に帰国することとなった。
唐の友人達が送別の宴を開いてくれた夜、美しい月を眺めてこの詩を詠んだという。しかし、仲麿が乗った船は難破し、安南に漂着します。帰国を断念した仲麿は再び唐朝に仕え、ついに日本の地を踏むことなく生涯を終えたのです。
この頃見たシネマ『黄金の日々』にも、望郷の念堪えがたく、処刑が間違いないと知りながらも帰国するというシーンがありました。戦国の世、堺の住人3人が織田信長に反旗、そのうちの1人が信長を狙撃し失敗する。そしてルソン島に逃げるが、数年もすると望郷の念堪えがたく、奇跡的にも水の調達のために立ち寄った南蛮船に出会い帰国するのです。
狙撃した男は地元の女性との結婚も決まり、現地に居れば安楽に暮せるというのに、正にその結婚式の日。友人が「お前が帰国すれば信長に捕まり、処刑間違いないから残るように」と言うのも聞かず、帰国し捕縛され処刑されるのです。
また、『おろしや国酔夢譚』というシネマも、内容は違うけれども人間の望郷の念で涙を流したことがあったのではないでしょうか。何年も昔のことですが、パラナ州のある人が詠んだ詩に、『移り住んでラテンの国に老いし今時に信濃の夢を見るなり』というのがありました。
現在はインターネットや電話などで日本も近くなりました。そして、私は思い出したのです。ブラジルに移り住んで10年目、日本の父に電話をしたのです。当時は直通ではありませんでした。日本につながるのに約1時間もかかり、その上音が入り、聞くのに苦労したことを思い出します。
その時の父の声が最後の声でした。懐かしい想い出です。喜寿もすぐそこ、故郷は忘れ難いですが、でもやはり『故郷は遠きにありて思うもの』と私は思います。
「たらちねの山川遠し異国にて心はいつも千の風邪かな」
「移り来て偲ぶ故郷喜寿近し春の夜空に父母の星見る」
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