はじめに
今年、南マットグロッソ州日伯文化連合会創立50周年、本校創立25周年を無事迎えることが出来ましたこと、この上もない歓びであります。
南マットグロッソ州日伯文化連合会並びにドウラードス日本語モデル校は、私に夢と希望と、多く方々との出会いを与えてくださった学び舎でありました。
また、ドウラードスは1956年、北海道から家族と共に移住して58年間、この地に住み、たくさんの恩恵を受けてきた我が愛する故郷です。
南マ州日伯文化連合会創立と日本語学校
ドウラードス市は1951年から60年初頭にかけて和歌山県移住者を初め、北海道、三重県からの移住者、その後、パラナ州、サンパウロ州方面から多くの日系人が移住し、わずか10年の間に15地域、2支部の日本人会が誕生しました。
この頃は他の地域との交流があまりなく、お互いの日本人会の情報も殆ど伝わらず、唯一、マット・グロッソ州野球大会がドウラードス日本人会主催で開催されるようになり、日系社会の状況が伝わり始めたという時代でした。
しかし、日系人口の増加によりサンパウロ総領事館、日伯文化協会、日伯援護協会奥地巡回診療等の連絡が多くなり、点在する地域の日本人会を組織的にまとめ、いち早く連絡できるようにするための中心機関が必要になりました。
17地区の日本人会の代表がドウラードス日本人会会館に集合し会議を開きました。そして1964年6月21日、南マットグロッソ州日伯文化連合会が誕生し、片山利信氏が初代会長に選ばれました。
1971年2月、共栄日本語学校が開校しました。私は教師として移住地の子供たち43名の前に立った日、「読み書き中心の授業だけではなく、学校行事を通して、移住地の皆さんが会館に集まる楽しみを作ろう。子供たちとたくさんの思い出つくりをしよう。」と思いました。
そして週末土曜・日曜の授業の後、みんなでお弁当を食べ行事の練習に励みました。
年中行事最後の終業式に発表した上級生の劇「銀の燭台」、下級生の劇「したきりすずめ」は、同じ日の夜、地元のドンボスコ州立中学校でもポ語訳をつけて発表しました。
その年に開校されたドンボスコ州立中学校校長のアンドレ神父は大変親日家で、日本の義務教育に関心を持ち、中学校に美術や演劇を取り入れ情操教育を目指していましたので、日本語教育に対しても協力的でした。
アンドレ神父の呼びかけで、ドンボスコ中学校には地元の住民や小中学校の教師、生徒のみなさんが大勢観に来てきてくれました。当時はまだ、日系人の日本語教育に批判的な教師もいましたが、この発表を機に、共栄の生徒はブラジル学校行事で日本の食文化や四季の祭りなどを紹介し、イヴェントを盛り上げるようになり、年を経る毎にブラジル学校の生徒も日本着を着ておどり、日伯文化交流が続きました。
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