ホーム | 文芸 | 連載小説 | 宿世(すくせ)の縁=松井太郎 | 宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(5)

宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(5)

 太一はーえらいことになったーという衝撃もあったが、なるべく考えないようにしていたある予想が、ぱっくりと眼のまえではじけた恐怖につつまれた。事態は急変しているので、太一は廊下をはしって息子夫婦の部屋の戸をたたいた。すぐに嫁の姉S宅に知らし、丈二は友人Eにすぐきてくれるように頼んだ。Sの娘で看護婦を勤めているI市の救急病院にゆくことにした。
 千恵は息子に抱えられて単にのせられた。しかし、病人の意識はしっかりしていて、夜中にかけつけてくれた人たちに、
「こんな夜中に騒がせてすまんね」
千恵が礼をいっているのを太一はきいたが、これが千恵の声の聞きおさめになった。
「ママエはしっかりしている。吐くのも止まったから、心配はいらん」
 朝方に帰宅した息子の報告に、太一はー病人は病院に任すよりほかはない、おれがここでいくら憂慮していても、なんの役にもたたんーとおもった。午後に嫁は見舞いにゆくという。このところ十日からも家にこもっていた彼は、女中に留守をたのんで、息ぬきに東洋街にいってみようとおもいたった。注文しておいた本はもう着いているはずであった。
 某日系書店の長年の客である太一は、店主と雑談していて気がつくと、いつも店にでていた老婦人がみえないので、ー旅行でもしていられるのかーと尋ねてみると、意外にも主からつい先頃亡くなったと知らされた。その人は店主の母になるのか、あるいは姑または縁者になるのか、問うたこともなかったが、この時、姑になる人と知らされた。
 昨年も暮れもおしせまった頃、ーよい新年をーと別れたのに、その人はもう忽然としてこの世を去っていたのは、太一は妻が生死のきわにたっているだけに、ひとしお寂しさが身に泌みた。
 ーそうだ、明日は見舞いにいってみようー、太一は歩道にでて街路樹の下をすぎると掌ほどもある落ち葉が赤茶けてころがっている。太一は踏むほどの意思もなくすぎると、靴の下になった枯葉は、夏の陽にやかれていて、煎餅のようにカリッーと音をたてて砕けた。
 午後の面会にいってきた嫁は、千恵の経過を太一に知らせた。嫁は楽観している口ぶりで、ーママエは今夜あたり手術されるらしいーとも聞いてきた太一はなんとなく今夜が山場だという、迫ってきた胸苦しさをおぼえた。太一は千恵が病んでから不眠になやむようになった。
 眠れば気味のわるい夢や、逆境のころの辛い思い出、不和であった父親が夢にでてきた。その夜もうつつに誰かがおらんでいるようで目がさめると。
「ママエが死んだー」
と息子が呼んでいたのであった。壁時計をあおぐと、小の針は垂直にたち大の針は刻々と一本に重なりつつあった。太一はやはりくるものが遂にきたか、こうなるのは前から先見的に分かっていたという意識さえもった。子供たちの積木あそびで、木片をつぎつぎと重ねてゆくのを眺め、不安にゆれる累卵の危うさが、高さにたえられずに崩れると、やっと安堵するあの心理に似ていた。けれどもそれは、ーわたしが先に死んでみなさい、辛い目に会うのはあんたですからねーなにかの折に千恵は言ったことがあったが、太一にはなんとも無念な長くあとをひく心残りの始まりであった。
すべての手続きはすみ、千恵の埋葬はM市の私営共同墓地に、翌日のうちにという慌ただしさになった。息子は家族の墓地として前から買ってあった。太一は初耳であったが千恵は知っていたのか、どちらにしても彼ら夫婦のあいだで、そう遠くもないうちに彼らのゆく小さな地所について、話しあったことはなかった。