「開校以来、今日まで日本語教育が途絶えたことがないことが誇り」―。イタペセリカ・ダ・セーラ日本語学校(牧山純子校長)の「開校80周年記念式典」が19日、同文協会館にて行われ、歴代教員や卒業生、父兄ら250人が集まった。同校は1935年の開校以来、日本語が禁止されていた第2次大戦中にあっても日本語教育を貫いたことで知られている。
式典に先がけ、先亡者法要が行なわれ、西本願寺の清水仁恵師の読経により焼香を行なった。
イタペセリカ体育文化協会の田中章浩会長は挨拶で、自信もOBである同校に対し「教員の方々は生活をかえりみない熱心な指導で、伝統ある学校を作り上げてくれた。私が学んだ清水四郎先生は厳しく優しい、まるで父親のような存在だった」と思い出を交えながら感謝を述べた。
在聖日本国総領事館の中山雄亮副領事は生徒たちに向け、「日伯の優れた部分を両国の言葉で語り継いでほしい」と訴え、牧山校長は「日本文化に興味のある非日系を中心に生徒数が増えたことで、毎日嬉しい悲鳴をあげています」と現状を報告した。
在校生代表として長嶺健也さんは「日語校とブラジル学校の両立は大変だが、いつか両国の懸け橋になれるように努力する」と語り、教員たち喜ばせていた。飯星ワルテル連邦議員、羽藤ジョージ州議、ブラジル日本語センターの諸川有朋副理事やブラジル日本文化福祉協会の林まどか副会長らが祝辞を述べた。
続いて同校への歴代教員に向けた表彰が行なわれ、夫の四郎さんの後を継いで校長を務めた清水厚子さん、馬場康二さん、ポ語教員だった福波えいこさんらに表彰状と記念品が手渡された。
表彰者を代表して1988年から18年半に渡り校長を務めた馬場さんは、かつての教え子を前に「生徒たちが立派に成長してくれたことが何よりも嬉しい」と感極まった表情で話した。また会館内に設置された80周年の記念パネルの除幕式や高齢者表彰も行なわれ、同市の80歳以上の長寿15人に対しても記念品が手渡された。
乾杯の後、恩師や同級生との再会を喜ぶ人が、懐かしそうに歓談していた。卒業生の今里さと子さん(三世、46)は、「学校の思い出は数え切れない。友達も沢山でき、かけがえのない時間でした」と振り返った。
同校は日本語教育が禁止されていた第2次大戦中も、政府の目から隠れながら続けていたことで知られている。当時を知る父兄から直接話を聞いた馬場さんは、「生徒は教科書を自宅に持ち帰らず、校内にあったバナナの樹の根元に葉で隠したと聞いている。その背景には親日的な当時のポ語教師マリア・エレナさんの応援などがあった。今日まで日本語教育が途絶えなかったことは、この学校の誇りになっている」と語った。