神奈川県立秦野高等職業訓練所の海外工業移住科の卒業生(秦野生)の同窓会が3日、県連会議室で行われ、1期生から24期生まで総勢28人が集まった。日本在住の1期生・神山秀(神奈川、72)さんが夫婦で参加した。
神山さんは1962年12月7日にあるぜんちな丸で出航し、翌年1月17日にサントス港に到着。その後電気機器メーカー「フェラージェン・ド・ブラジル」や日系の車用ラジオ製造会社「モトラジオ」に勤務した。
71年、当時の津田文吾神奈川県知事が視察のため来伯した際に声が掛かり、同県各地はじめ大阪や九州の工業学校で、日系人の工業面での活躍を伝える講演を行った。
その後86年に渡米し、ニューヨークで機械製造業に携わった後、90年に帰国し、現在に至る。
19歳だった当時に渡伯した理由を聞くと、「高校卒業後に働いた会社がストばかりでなんだか馬鹿らしく思っていたとき、通勤中の電車でたまたま秦野の広告を見つけた。募集要項に当てはまらないところもあったけど、何とか入れてもらったよ」と豪快に語った。
神山さんの周りは終始再会を喜ぶ秦野生が囲み、懐かしい話で盛り上がっていた。
タグ:サントス 写真ニュース ブラジル 日系 伯 あるぜんちな丸 移住 日系人 県連