檀家でもない松山家の葬儀をとりおこなってくれたのに好感をもった。ー朝夕のお勤めを欠かさないようにーそういって坊さんは白木の位牌をおいていった。表には戒名が記してあり、裏には故人の生年月日と俗名が書いてある。太一はそれを机のうえの棚においたが坊さんに言われた祭事はおこなってはいない、位牌は千恵ではないし拝む気持ちになれない、千恵は死んだ。もうどこを捜しても再び会って、話し合うこともないのだ。
覚者はそれを迷いというだろうが、太一はこの迷いをいつまでも持ちつづければ、いつか地平がひらけるだろうと考えた。
死者は永遠の無に帰して歳はとらないが、命あるものはそれぞれの生き方を生きなければならない、例の坊さんを招いて四十九日の忌をしたあと、太一は千恵の残していった品々を客間にはこんだ。長男と長女は母の世話はできたが、次男と次女は日本在なので、(いまのうちに一目会っておくほうがよい)とでも、太一には知らさずに長女が電話をしていたのか、二人は急遽飛行便をとって帰ってきたのに、母の死に目には会えなかった。
二人とも母の見舞いということで貰った休暇なので、そう長い滞在はゆるされず、初七日の忌がすむと職場にもどっていった。その折、母の形見わけとして指輪と時計を渡した。それでもまだかなりの品々が卓上にならべられた。その場にいあわせた者がはやくも目をつけて、手を出したいほどの金目の品はないー、太一の贈ったものは一つとしてないが、折につけて千恵が自分でもとめたもの、嫁から贈られたものなどがあった。
縁のふかい者から、収めていった形見の品は、安価なものまで全部わけられた。服は何十着とあったが、柄が地味なのか、ほかに理由があってか、だれも手をださないので娘がひとまとめにして、近くにある老人の施設に寄付するという。それにちょっとした驚きは十足からの靴がでてきたことであった。千恵のはすべておおきくて、だれにも合いそうもないので、それらはすべて屑にだすことにした。
いちおう形見分けがすんで、あとは故人の思い出話になった。長女の姑は千恵の見舞いにいってくれていた。
「いまだからいいますが、わたしは千恵さんの変わりようにびっくりしました。これでは助からないのじゃないかとおもいましたよ」
つづいて丈二の友人のEは、
「おばさんは寂しかったのですかね、自分の手にすがるように握ってこられたので、~あすはおじさんがこられますよー」
そう言って慰めますと、
「パパイのことはよくわかっているから」
とEはきいたという。
太一はこの千恵の言葉が、脳裏にやきついていまだに忘れられないでいる。Eへの答えにこめられた彼女の思いは何だったのだろうか。太一の性癖で妻の心理分析をこころみた。
一、パパイはわたしのことなどすこしも心にかけていないので、わたしの身の上がどうなろうともかまわない。
一、パパイは大切なことほど、ぐずついて後で後悔する性なのだ。
一、わたしたちが所帯をもって、夫がいてくれれば力になると思う時に、家長のいたためしはない。
このように太一は三項目にあげてみた。これは折にふれて妻に聞かされていた不平なので、千恵の心境からあまりはずれてはいないと推定した。ところでこの三項目のうちで、どれに重きをおくかについて、思いをめぐらしたところ、千恵ははじめの項目に恨みをかけたように彼は思えた。
見舞いにいった者の安易な報告に安んじて、長女が日本へ母危篤のしらせをしているのも知らなかったが、あの日、セントロへ雑用にゆかずに、なぜ妻を見舞わなかったのかと、後悔の念にせめられた。