今年の長期休暇は日本で過ごした。ビザの関係もあって2年おきには帰国するのだが、馴染みの店が消えていたり町並みが変わっていたり、変化がめまぐるしい▼今回は、大阪周辺の外国人の多さにちょっとした浦島太郎気分になった。街を歩くと方々から中国語が聞こえるし、様々な注意書きが中韓英の3カ国語で記してある。和牛の焼肉屋や観光案内所、大手家電店では、敬語まで正しく操る若い中国人に日本語で接客されるという初体験もした▼家電店の中国人男性スタッフに日本語学習歴を聞くと、わずか3年という答えが返ってきて驚いた。たどたどしいが、文法はほぼ完璧だった。彼らの同胞客のマナーは相変わらずのようだが、同店員の「勤勉」「熱意」は尊敬に値する。日本語力からも、それらが同国の経済発展と世界進出を支えていることが伺える▼「社会を動かしているのは日本人」―そんな思い込みが長年の日本での暮らしで無意識のうちに形成されていたが、それを修正する時期が来たのだろうか。物理的には明治に開国をした日本だが、精神的・構造的な〃第二の開国〃を、今迫られているのかもしれない。だから一部の保守派がその変化に敏感に反応し、過激な排外運動に走っているのかも。もちろんそんな抵抗も、人種のるつぼたるブラジルからすれば「今さら」な話だが▼「もう祖国の土は踏めないかも」という壮絶な決意で海を渡った戦前の移民からすれば、休暇で気軽に祖国を訪ねられる今という時代は、すでに浦島太郎の世界だ。どんどん世界各地で民族の移動と混血が進み、いつかジョン・レノンが歌った「国境のない世界」が来るのかも―と夢想してしまう。(阿)