サント・アンドレー 宮城あきら
この年も古本市に通いきて安き良き書を求め楽しむ
古りし書の輝く文字懐かしき『啄木全集』買いて帰るも
手に取ればたった二ヘアイスの哲学書済まないような握り出しの心地
開き見れば南樹の署名滲み古りて時の移りを痛く思いき
コロニアの知性ざわめく古本市秋は卯月の風物の詩(うた)
「評」まさしく風物の詩、このざわめきの一人一人に詩の眼を向ける人があることを思うとき、コロニアの歴史の浮き沈みがいかようであろうと、その重みと広ろがりが、ずっしりと感じられる。
サンパウロ 武地 志津
磯釣りが趣味とう日系運転手おおらかにして話題が楽し
シェパードと連れ立つ主は力負け犬の道草に引かれつ逸れつ
週末の真夜を戻りて上の階に辺り憚らぬ声に足音
過ぎし日に事故で傷めし脊椎の辺りが疼く苛立ちのあと
ひと夜さを喋り続けて明け方に眠りしならむ漸く靜まる
「評」釣り落とした魚は誰が話しても大きいにきまっている、その話を運ぶ運転手の話題が又楽しい。眼に見える。二首目、犬を運動に連れて歩くのだが、その逆も多い。『引かれつ』『逸れつ』の使い方がさすが。アパートの日常からも逃さない眼。
グワルーリョス 長井エミ子
後悔の遠景に泣く李さんいて拉致問題片付かぬ今
時々はコダックダンスを披露する友の母親満州に果つ
次々に身内失う老なれば捨てし記憶を紡ぎてをりぬ
薄墨の雲のキレギレ飛ぶ今朝の冷たさ知らぬ蓑虫二ツ
目減りする年金愚痴るやから共東の空は今日も割れゆく
「評」戦争中の満州や朝鮮や、そしてそこから引揚げて来た人等の思い、それを知らない者等との思考の格差。四、五首にそうした心象が折り込まれている様にも思える。
サンパウロ 坂上美代栄
雨なれど朝市立てて客待てる農家、売り手も楽にはあらじ
寒空に若き夫婦のフェイランテかごの赤子も野菜の横に
にんにくを商う媼日系に見ゆ、無表情にし取りつき難し
ナプキンを配ばり客呼ぶフェイランテ果実の一片押しつけながら
久方のひかり射しくるビルの窓洗濯物がわあーと喜ぶ
「評」どの作品にも久方のひかりが射した感がある。二、三、四、新しい着眼点で面白い。特に三、四首は対照的である。
サンパウロ 相部 聖花
返り咲きのイッペ開きて華やげど寒波を受けてあわれ散りゆく
冬日受け菊やつつじや蘭も咲きささやかな幸我が庭にあり
アガパント和名はムラサキクンシランとその名を知りて親しみ増しぬ
ほうれん草この大きなる一把もてお浸しにせんラーメンと煮ん
同胞のためにとニュース送り来る師に応えるべく文発表す
「評」淑やかで親しみやすい作品群、特に二、四に心を引くものがある。
サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ
いつの間にすぎたる古稀かあの頃はそれほどの熱持たざりし歌
読書して書きとめること習慣となれば覚える漢字も増えて
読書して覚える言葉大切に会話のチャンス少なき吾は
久々に逢う弟の話しぶり関西なまりが今だに少し
久々に逢う弟と先づ一局あやふやなるさまどちらも同じ
「評」毎回出会える、ほんのりと懐かしい梶田作品、今回は姉弟の京言葉での出会いが詠まれた。短歌を詠むことを忘れない作者が、まず一局指すのである。『あやふやなるさまどちらも同じ』ここに人間としての懐かしさがあるのだ。
カンベ 湯山 洋
生え揃い淡い緑の麦畑葉先に光る虹の玉露
順調に若葉伸び行く麦畑深々として緑の絨毯
唯緑緑一色麦畑緑は続く峠を越えて
小春日や遠出も楽しい麦畑目には優しい緑の道行く
ぼつぼつと穂孕み始めた麦畑背伸びしながら春を待ち居る
「評」穀物の生長を見まもる農村の心境、特に春の緑は生きる力がみなぎる。そして出穂季には命の源泉を感じ取るのである。
サンパウロ 寺田 雪恵
空港は硝子張りにて垢ぬけせしオリンピック待つブラジリアに降りる
優雅なるモルフォ蝶木漏れ陽に憩いおり友とおすそわけしつつ見ている
みぎ左いづこをも囲う水平線ブラジリアゆ二百四十キロを来て
岩と水ばかりの枯れ野に赤き花悠久の風にゆられいるかな
水晶を採りたる後に温泉の湧くにひたれば身心若やぐ
「評」世の中が忙しくなると歌詠みも忙しくなる。すこしは怠け者になりたくて温泉にも浸りたくなる。小生がそうだからとて、皆がそうとはかぎらないが、四、五首この桃源郷はどこなのか知らない。特に四首目の悠久の赤き花のゆれる野に佇ちたい。
サンパウロ 武田 知子
形見なる堆朱の大きな硯箱今は筆折りコレクションの中
画仙紙も色紙短冊白きまま積んどくままに腕も怠けて
日満支と我書めぐりて上野にてかかげられしは大昔かな
戦災で焼けて残りし我の書を地方より集め父送り呉れし
病床に寝つかれぬまま回想す幼少よりの今に至るを
「評」波瀾万丈の過去を回想する作者、なかんずく最も焼き付けられたのが原爆からの起死回生だったと想像される。その後の足跡がうかがえる作品、いかにか御尊父がわが娘の生涯を惜しんでおられた事か。
バウルー 小坂 正光
新校舎、隣接地に建ち学生等の送迎をなす車行き交う
隣接に四階立ての校舎建ち男女の学生通い始むる
隣接に成りたる校舎の工事中吾が家に何ら事故は無かりし
新校舎の最上階は競技場球追う学生等の声の姦し
隣接の空地二十余年草生いし風景今無く新校舎建つ
「評」学生不足で合併あるいは廃校などの日本にくらべ、たのもしい限りである。終戦後、外地からの引揚げ等で一時新校舎が出来た四、五十年前の日本、今は少子化時代に入り、全国的に廃校などときく、それにくらべ、この国はたのもしいことである。そんなことを思わせる作品に接した。
【「くひな」16号より(平成二十七年春号)】
日々凡々 島 秀敏
故郷の海を残してはやぶさ2号飛翔しゆけり光噴きつつ
存へて背骨あらはとなりし猫ゆく年くる年しらぬが仏
並み揃ふ垣の椿の咲きそめて初日さすなり屠蘇に微酔す
色いろとあるにはあるが去年今年平均寿命ぞ除夜の鐘鳴る
これといふ目標もなき身となれば先づは酒など温めてから
霜柱ざくりと踏みて朝刊をとりに出づれば嚏が出たり
あらたまの冷気の満つる朝あけを沈丁花はや蕾さしぐむ