この乞食は若い頃、馬喰をたつきとして世間をわたっていた。その間にかかわりあったかずかずの女たち、どちらかといえば身分の上のおなごとの遍歴の物語である。ーわたしは何人ものおなごを好きましたし、また好かれましたが、だれ一人としてうらみに思われたことはございません。この世で夫婦になれなかったのは前の世のさだめとしても来世ではかならずみょうとにと泣かれたものでございますー。
真実をつくし、相手の気持ちになり喜ばれるようにすれば、おんなはなついてくるものよと人の世の情けをものがたる。
太一はその時は馬鹿くさいとふかく気にもとめなかったのに、何故か忘れられないものとしてながく印象にのこった。
太一の場合は年代も場所もおなじではないが、彼の半生にしった女ふたり、はなと千恵とは容貌、気性、体格など似たところはすくなかったが、はじめの女に逃げられたほどの男だから言わずもがなながら、千恵とは四人の子までなし、生涯をともにしながら太一はついに千恵の本心は知りえないままにすごしてしまった。
うまくゆくはずのはなとは不縁になり、千恵とは別れる理由は(彼女の言い分として)正当すぎるほどあったにもかかわらず、太一とは生涯をともにしたのであった。それは人それぞれの定めだとしても、それならなぜ初めから千恵とむすばれなかったのかという疑問は分からないままに残った。
世話する人があって、太一ははなと結婚した。三カ月ばかりいたがすこし養生をしたいといって、実家に帰ったままに戻ってこなかった。その後、先方からいちどの苦情だけで内縁でもあったのでそのままになってしまった。一年ほどたってはなは再婚したとの噂がたった。彼女はどんな男の許にいったのか、太一は今日にいたるまで全くその消息をしらない、もし生存しておればもうよい年の老婆であるが、現在どんな境遇にあるのか、回顧すれば短いように思える太一の過去も、たぐってゆけばそれからそれへととおい地平につながっているのであった。それにしても彼がはなの顔立ちを想いうかべようとしても、その輪郭さえも脳裏にういてこないのであった。
これは一つの妄想にしても、日系人のおおいⅠ区の朝市などで、太一が昔の女とすれちがっても、おそらく両方とも相手が誰か見分けられないだろう。緑あって嫁いできた娘がそれも世間知らず幼気ののこっているような者が、初めての男から去るとは、女のほうでよほどの不信感があったのだろうと、後日、彼はあれこれと詮索をしてみたが、要するにおれは嫌われたのだと解釈した。
そういえばおおまかな気性の千恵でさえ、
「おなごであんたのような人を好きになる者は誰もいませんよ」
なにかの折、千恵は虫のいどころがわるかったのだろう、つい思いきった言葉をはいたことがあって、太一はいまもって忘れないでいる。
これは一つの仮定としても、はながしぶりながらも婚家にもどっていたら、太一の前途も変わったものになっていただろう。父との不和がこうじたとしても、はなを頼んでの家出なら彼の決意もためらわれーそして蓋然性は半々だったので、現在弟がやっているような仕事をG州でしていたかもしれない、もしそうだったとすれば、太一は意思はかなり強くても、情愛にはうすいので、苦労しらず思い上がり者のような男になり、父以上の横暴な家長になって、事あるごとに女房に辛くあたったのではあるまいか。これは一つの仮定のようで、案外と実証性のあるように、太一自身が認めるところであった。