ホーム | コラム | 樹海 | 一対の肖像画に込められた想い

一対の肖像画に込められた想い

現在はブラジル人所有の農場の中にある、最初の墓碑「開拓犠牲者の碑」

現在はブラジル人所有の農場の中にある、最初の墓碑「開拓犠牲者の碑」

 平野植民地入植百周年式典を取材し、感じ入る点が多々あった。まず旧会館の舞台の左右に掲げられた一対の肖像画だ。3月に取材した時にはなかった。式典のために秘蔵品を蔵出ししたに違いない。左が松村貞雄総領事、右が平野運平だと一目で分かる。署名を確かめると半田知雄。依頼者の想いをくみ取る気魄が感じられる絵だ▼全伯のいろいろな会館で式典を取材したが、総領事や恩人の肖像画を飾っている場面に接したことがない。第一、なぜ絵かといえば、植民地の設立が古いからだ。有名なはずの平野、松村だが実は1、2枚ずつしか写真が残っていない。半田はその写真を架台の横に置き、村人が心に刻みたいであろう2人の姿を推測し、肖像画に写し取ったのだろう。署名には「1965」とある

半田知雄が描いた松村貞雄総領事の肖像画

半田知雄が描いた松村貞雄総領事の肖像画

▼半田著『移民の生活の歴史』(人文研、1970)を調べると、66年に植民地に行ったとあるから、完成した絵を渡しに行ったのか。ドラード川近くの「開拓犠牲者の碑」について同書には《草原にいまなお墓標がたっている。(中略)私は案内された人に、「このへんですよ、最後はここに死骸をかさねて、われわれ自身が荼毘に附したものです」と説明された時、思わず空を見あげたほどである》とある▼入植最初の1年以内に約80人がマラリアの犠牲になった。半田はその項の最後を《ある人は「平野の死は悶死にひとしいもの」と評しているが、八十人近い人命を犠牲にした指導者の苦衷が思いやられる》と締めくくった。半田の肖像画は、淡白な色使い、抽象化された筆致に特徴があり、一見重みを感じさせないが、遠い霊峰を仰ぎ見るような敬意を感じさせる。(深)