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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(16)

 それも初夜がうまくすごせたからであった。床にはいると千恵のほうより積極にでてきて、太一の手をとって自分の乳房にあてがい、ー可愛がってねーと甘えた。太一はなんの不安もなく官能の喜びをあじわった。ひとりの娘を女にした満足と、こころよい疲労でぐっすりと眠った。
 朝の光がそまつな借地農家の椰子樹の壁のすきまから、いく条もの縞になってさしこんでいた。太一が目覚めると千恵はすぐに床をはなれようとした。羞恥で顔もあげられない新妻をみて、彼はあらたに情欲のふきあがってくるのをおぼえると、千恵にだきつさ床のうえにおしたおした。
 わずか半年ばかりの間であったが、彼が馬で千恵のもとに通った頃が、丸五日おいた逢う瀬だけに、もっとも好色な月日であった。初夜からひらけていた女だけに、太一の誘いにはしたがうし、はやくも官能の喜びをしって、後をひこうとさえした。
 ある夜、ことが終わってからの寝がたりに、
「あんた、わたしが初めて」
千恵は太一にきいた。
 これで千恵はなにも知らされていないのを太一は知って、困ったことになるぞと思った。夫の過去があらわになれば、気性のかった女のことだから、一騒動はまぬがれまいと予想したが、その時はその時のことだと、ほぞをかためたのであった。けれども干恵が婚家にはいる日が近づくにつれて、太一ははやかれおそかれどちらにしても、自分の過去が知れずにすむわけはないので、それを思うと憂鬱になった。千恵からーあんた、なにか心配事でもあってーと訊かれるほどだった。この件がもし可能なら父から資金をたしてもらい、戦争もそう長くはない状態だし、どこか彼の過去を葬ってくれるとおい土地にゆきたかった。
 それはとうてい父が許してくれるはずはないので、太一はいくらか自暴自棄になり、なりゆきに任そうと覚悟をきめた。千恵はおおさな腹をかかえて婚家にはいった。
 千恵は何処にいっても、誰ともすぐに親しくなれる気軽さがあって、すぐに裁縫の手があるのをしられて、近所の外人の晴れ着の注文をとるようになった。
 一カ月たっても口さがな女たちが、太一の過去を千恵に告げなかったのは不思議なほどであった、これは千恵がすべてを承知して、太一の嫁になったと決めていたのが理由らしかった。
 ところがくるものはついにやってきた。千恵がうけた服を隣家のイタリア人にとどけにいってそこの婆さんがつい口をすべらして、なにもかもが明かるみにでてしまった。
 その日、太一は畑に山盛りにしたままの玉菊黍を運ぶため、馬車で山にいっていて家にいなかった。千恵はわぁわぁ泣きながら家にもどるなり、片手にトランクをさげて家を出ようとした。すると父が戸口に立ちはだかって、
「いま、お前に出られると、わしは首を吊らにゃならんと」
言われ、戸口で土下座されたという、それは父のその場かぎりのはったりにしても、千恵は気落ちしたようになって、茫然とその場から動けなくなった。太一が山から帰ってくると、千恵は彼にトランクを投げつけて、
「ひとを騙しておいてー」
と叫ぶと、ヒステリをおこして泣きわめいた。このような騒動はおおぜいの弟妹たちからみれば、一つの喜劇でさえあった。父も嫁にたいして変な立場になったが、それだけに息子への憎しみがより深くなった。また彼ら夫婦も仲直りするのに、永い日々があったが千恵の下腹は目にみえてふくらんでいった。
「かわいそうに、この児なにもしらないで、あばれている」