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遠山の金さん(入墨考)=ピラール・ド・スール 伊勢脇英世

 鎌谷さんも書いて居られるように、きれいな肌に入墨はいただけません。ぶっ殺しても死にそうもない大男が、腕がまっ黒になる程施してあるのも受入れ難い。
 入墨のそもそもの始まりは大昔、一般市民と罪人を区別するために為政者が思いついた模様です(50年以上前の『オール讀物』の、誰の作品だったか『無宿人別帳』にありました)。
 ずっと後の話になるのでしょうが〝入墨判官〟と呼ばれた遠山の金さん、捕物と裁きが目の覚めるような人気がありましたが、腹違いの兄を立てる為に背中一杯の満開の桜は有名だったようです。それだけ入墨は反社会を意味している歴史があるようです。
 現代の入墨は簡単に抜けますが、昔のそれは除れなかったようです。知人の息子(ブラジル人)が顔に『名誉』と入れて〝オンラ〟だと得意顔でした。『誉』は裏から見ても『誉』ですが、『名』が反対になると『名誉』とは読めないと言ったら、何日もしない中に消してしまいました。
 余談になりますが、墓石に日本語の名前を彫りたいからと頼まれ、墨てん鮮やかに書き上げて石工に渡し、やがて出来たから見に来てくれと言われ行ってみると、上下逆さに刻み込んであった―と実話です。
 「身体ハップこれを親に受く敢えて生傷せざるは孝の始めなり、身を立て名を後世に残すは孝の終りなり」小さい折、良く生傷をこしらえ、その度に父親に言われたものです。それだけ昔の人は、身体は大切にしていた様です。
 ところが今は身体中いたる所に入墨はする、ブリンコを舌の先やヘソの囲りにつけて得意気です。『ブリンコ類』は『国境』とは名ばかりの陸続きの国に住む人々の生活の知恵で、何時攻められ国を追われ家族がバラバラになっても、幼児でも当座困らないだけの財産として、耳輪に金などの高価なものを装っていたのです。キラキラピカピカ光るだけではなかったのです。