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エドゥアルド・カンポス氏(reprodução site www.aecioneves.com.br)

エドゥアルド・カンポス=衝撃の墜落死から1年経過=「ブラジルの未来」とも目された大統領候補

 昨年の8月13日、大統領選挙のキャンペーン期間中に飛行機の落下事故が起き、エドゥアルド・カンポス氏(享年49)が衝撃の死を遂げてから1年が経った。
 亡くなる直前のカンポス氏は、「ブラジルの将来を担う有力政治家」としてメディアや政界から注目を浴びていた。労働者党(PT)と民主社会党(PSDB)の二大政党時代が20年続くブラジル政界において、カンポス氏は、二大政党の拠点のあるサンパウロではなく、自身が知事をつとめていたペルナンブッコ州レシフェで「第3の勢力」を築くべく、自らが党首をつとめるブラジル社会党(PSB)から大統領選に立候補した。
 カンポス氏の実力は、PT、PSDBの両政党の指導者達からも高く評価されていた。ルーラ前大統領(PT)は、自身が大統領だった時代に、まだ30代だったカンポス氏を科学技術省長官に抜擢するほど才能を評価し、14年の大統領選の際も、「18年のときは支援をするから、今回は出馬を取り下げてくれないか」と、カンポス氏に頼んだほどだ。
 また、カルドーゾ元大統領(PSDB)も、カンポス氏を大統領キャンペーン中に激賞し、PSDBの候補のアエシオ・ネーヴェス氏から「私がいるではないか」と反論されている。
 さらにカンポス氏は、ブラジル名物の女一匹狼タイプの大統領候補、マリーナ・シウヴァ氏の新党結党が認められなかった際、同氏を副候補に迎え入れる荒業でも注目されていた。
 そんなカンポス氏は、8月の世論調査まではジウマ(PT)、アエシオ両候補についで支持率3位につけていたが、8月13日午前、リオからサンパウロ州海岸部へ向かう途中、搭乗していたセスナ機が墜落し、他の乗客6人と共に帰らぬ人となってしまった。
 このニュースは国内外で大ニュースとなり、大統領選にはカンポス氏に代わってマリーナ氏が立候補することとなった。当初は弔い票もあり、マリーナ氏が1位のジウマ氏に急迫したが、PT陣営のキャンペーンでの攻撃に屈し、急落して3位で終わることとなった。
 それから1年。政界は石油公社ペトロブラスを舞台にした大型汚職や政治家の関与などを立て続けに摘発する、ラヴァ・ジャット作戦に揺れ、ブラジルの経済はマイナス成長に突入、信用格付も投資資格ギリギリのラインまで落ちている。
 こうした状況で、経済に強く、国際会議に呼ばれるほどの実力もあったカンポス氏の不在を嘆く声は少なくない。
 だが、その一方、死後にラヴァ・ジャット作戦で逮捕された容疑者の報奨付証言で疑惑の政治家として名前もあげられており、この件でも「生きていればどうなったか」と気になる存在でもあった。
 遺されたカンポス一家は、長男のジョアンさん(21)がカンポス氏の後継を目指すべく、18年の下院議員選に臨むと見られている。
 また、カンポス氏が政治的に重要な決断を下すときには常に関わっていたとされるレナタ夫人はPSBの幹部入りをし、政界進出も噂されているが、昨年生まれたばかりの1歳の四男がダウン症で、子育てに手がかかることもあり、進出は微妙と見られている。
 なお、死後1年を経ても、墜落事故の真相は明らかになっていない。