8月5日午前9時、サントス港のブラジル海軍桟橋に海上自衛隊の練習艦隊「やまぎり」と「しまゆき」の2隻が接岸して、入港式典が行われた。旗艦の練習艦「かしま」はリオデジャネイロに分散入港したため、艦隊の司令官不在で実習士官、個艦乗組員も半減して、過去の式典に比べると簡素なものだった。
私もブラジルに来て52年。練習艦隊とは長い付き合いである。1965年に戦後初の練習艦隊「あきづき」「てるづき」「あやなみ」「うらなみ」の4隻で編成された、当時最新鋭の大型護衛艦に1千人を超える乗組員がサントス港に入港。歓迎する人手は、はポンタ・プライア辺りから接岸する岸壁まで1万人以上であったといわれる。
2日間にわたる半舷上陸の乗組員の歓迎会はイビラプエラ公園で行われ、各県人会から多数の人が出身県の乗組員を迎え故郷の話に花を咲かせた。
当時はまだコロニアには「サンパウロ新聞」「日伯毎日」「パウリスタ新聞」と3つの新聞と、数ヶ月遅れて来る雑誌等が日本を知る手段でした。そんな時に大勢の日本の若者がサントス港に寄港し、サンパウロで柔道や剣道などでの文化交流は、日系コロニアに大きな良い影響を与えたものでした。これで日系コロニアの戦後は終り、新しい認識のもとに発展したと言っても過言ではないと思う。
2回目の1972年以降は、大型の練習艦「かとり」が2隻の随伴艦を伴い5年おきに来航するようになった。その「かとり」が廃艦となり、2代目「かしま」が艦隊旗艦となって既に15年。
今回のサントスの民間の出迎えは少ないものだった。艦隊は8月8日に出港、以後モンデビデオ、ブエノスアイレスに寄港。日本海軍以来90年ぶりにマゼラン海峡を通過し太平洋に出て、ペルーのカイオアに寄港する。5月30日に日本を離れ、10月30日に帰国する長大な航海である。
艦隊の無事の帰国を祈っている。また、次回の来航はこれから5年先。中国との関係が悪化すれば、海軍勢力がこういう航海に割けなくなってくるのではないかと思ったりもするが、そんな事が起こらないよう願っている。
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