ブラジル経済は大不況に突入しそうな雲行きの一方、日本は東京五輪に向けて人手不足という状況の中で、今年3月の出入国管理統計でリーマンショック後初めて、日本へ入国するブラジル人が出国者を上回った。デカセギブーム再来の兆しが生まれている。そんな中、在日日系コミュニティ最大の問題は子弟の教育だ。同ショック後にブラジル人学校は半減したと言われる中、生き残った学校の一つ「エスコーラ・フジ」で、教師や父兄、支援者にその教育意識を尋ね、制度の現状について考えてみた。(静岡県発=秋山郁美通信員)
眼前に迫る雄大な富士山を、工場と煙突が遮ってしまう。どこか日本を集約したような興味深い景色が静岡県富士市には広がる。ブラジル人学校「エスコーラ・フジ」はそんな同市の中心街に位置する。
2000年8月に設立され、幼児から中学生まで36人の子供たちがブラジルのカリキュラムで学んでいる。校長は、三世のフクヤマ・ミサエ・マグダさん。ポ語の教師としても教壇に立ち、自身の双子の息子たちは7年生に在籍している。
校舎は3階建てのビル。設備や人員は最低限。走り回れるグラウンドはない。
1階は事務室と売店、集会スペース。2階と3階の部屋を仕切って、幼児から中学3年生までと、日本語クラスを設置している。「部屋」とは言えないが、それぞれ掲示物や作品で飾られていて、それらしい。
ブラジル教育省の認可を受けているほか、日本の各種学校としても認められている。遠方から通う生徒が学割の定期券を使えるようにと、数年かけて静岡県知事に申請・認可されたのだ。
8年ほど前には生徒数は88人に上り、講師も15人ほどいたが、2008年の経済危機、11年の震災の影響で生徒30人が帰国した。
困難な状況ではあったが、たまにある日本の小中学校からの転入や、父兄からの根強い要望もあり、月謝を少し上げるなどして経営を続けている。
日本社会とは、年に一度の地元の小学校の餅つき大会、高校や大学との交流会、また警察の交通安全教室などを通じて、交流機会がある。
第一外国語として英語、第二外国語として日本語を学んでいる。日本語を教えるのは、浄土真宗のお寺の跡継ぎという南荘摂(なんじょうおさむ)さん。副住職としての仕事の傍ら、週に1度静岡市からやってくる。
「ブラジル人向けのラジオのDJをしているときにスカウトされました。日本語を教えた経験はなかったけれど、かれこれ10年になります」と穏やかに話す。
日本語の授業も学年ごとに行うため、「学習レベルがバラバラで、個別に対応しなくてはいけないのが大変」とのこと。
高等部はないため、高校進学を希望する場合は、菊川市にあるブラジル人学校まで通わなくてはならない。富士市からは一時間半以上かかり、学費や交通費も上がるため、断念する生徒も多い。だが、直接ブラジルの高校へ進学したり、菊川のブラジル人学校を経てブラジルへ大学進学したりした例もあるという。(つづく)