アイゼンハワーが大統領であった1959年にフルブライト・プログラムの奨学生として渡米し、その後の期間の半分以上をアメリカで過ごしてきた著者は、自分の体験したことや観察したことを出来るだけ忠実に日本の人に伝えることが、自分の義務であると考えに至った。
今までは専門分野のことだけを発表してきたが、私は、もっと大きな問題について、つまり、日本人のすべての人に関わる問題についての考えを発表し、働きかける必要性を痛感したのであった。
早速、秋になると日系の広報誌などを通じて、日本の歴史に冠する読書会を開催することを南カリフォルニア居住の日本人や日系人に通知した。幸いにも、最初の会合に二十数名の人々が集まった。集合した人たちは、かなり長く米国に居住してきた人が殆どであった。
1980年代の日本の景気が良かった時期に、会社の派遣や企業家として渡米した人もいたし、それ以前から家族の関係で渡米した人、日本の煩わしさを逃れて居住してきた人も居た。これらの人々は「新一世」と言われ、日本で成人した後に渡米した人たちである。
幸いにも、彼らは日米関係や日本の外交について共通の疑念を持っていた。「どうして日本政府は、容易に韓国や中国に対して謝罪の意を表明するのか」、「東京大空襲をやり、低空飛行で逃げ惑う婦女子を直接狙い撃ちし、その後に原爆を用いて大量の一般市民を殺戮した米国に対して日本政府はどうして謝罪要求しないのか」などの意見が出された。
米国に長く居住している日本人は、常に無意識のうちに日米の比較をしながら、また、ほかの国とも比較して生活している。その結果、日本国は異常な国であると言う印象をかなり強く持っているのである。
この読書会、それが後に日本再生研究会となるのであるが、会員は大体が世界の情勢に深い関心を持つ知識人である。日本の一流銀行・商社などからの派遣で渡米して定着したとか、日米の交流機関に勤務した後に健康上の理由で南カリフォルニアに定着したなどの経験を持ち、日本の動きにも絶えず関心を持っている人たちである。
特に80年代末期に、次の世紀は日本の世紀であるとも言われてきたことを記憶していて、そのためにジャパン・バッシング(日本いじめ)が起こり、その後の日本の停滞がジャパン・パッシング(日本を通過)を誘導し、そしてジャパン・ナッシング(日本は問題外)となったことに危惧感を強くしているのである。
それに加えて、中国の台頭があり、さらに日本を格好の競争相手と意識している韓国が日本が得意とする電子産業などの分野で日本企業を追い越し、はたまたロスアンジェルスの中心にあるリトル・トーキョーにも日本企業に代わって韓国系の企業がかなり進出したりしてくると、日本の衰退を実感せざるを得ない状況になる。
しかも、最近では、日本人が出入りする商店街や高速道路脇に「独島(竹島)は韓国の領土である」と書いた看板が掲げられているような状況の中に居るのである。特に韓国系アメリカ人からの攻勢は強く、ニュージャージーを初めとして日本の軍隊の犠牲になったとされる慰安婦の像を米国内の22箇所に設置すると宣言している。明らかに国家を挙げての反日運動である。このような状況の中で生活していると、日本の新憲法が唱える諸国民の「公正と信義を信頼」することが、いかに危険なことかを理解せざるを得ない。