ブラジルに来た当時、私はポルトガル語を全く話せなかった。ブラジルに行くと決まってからも学ぼうともせず、「行けばなんとかなる」とたかをくくっていた。そして丸3年が過ぎた今も、私は相変わらずポルトガル語が話せずにいる。
この恥ずかしくて情けない現状の言い訳をすると、私の周りには日本語があふれていて、日本語でふつうに会話ができる人達がたくさんいるからだと思う。義父母、義弟妹、子供の通う日本語学校の先生達。町に出れば日本語を話している年配の人達もよく目にする。買い物に行けば日本人の私に流暢な日本語で話しかけてきてくれるブラジル人もいる。
日本へ出稼ぎに行っていた場所が私の住んでいた町だったりすると日本語で話が盛り上がって、ふっと「あれ?ここって日本だっけ?」と錯覚してしまうこともあった。
しかし、長く住んでいると、さすがにポルトガル語が必要になる時もある。そんな時は、娘達に頼る始末。娘達は私と違ってポルトガル語を覚えなければ生活できない状況だったから、とにかく言葉を必至に勉強した。わからなければ学校の教科書も読めないし、友達も作れないからだ。だからスポンジのようにポルトガル語を吸収していった。
こうなると、私は全力で娘を頼りにしてしまうわけで、身内だからなんの遠慮もしなくていいし、不自由も感じていなかった。かくして、私のポルトガル語修得意欲はほぼ消滅していた。
けれど2か月前に、「本当にこれでいいのか」とハッとした。確かに娘達といれば言葉の心配はない。心配はないけど、言葉でのコミニュケーションを直接していないことに違和感を感じたからだ。自分の言いたい事を、相手の目を見て言えない私。言えないのではなく、言わなかった私。言う気のない私。
思えば今まで、言葉がわからず買い物に行って必要な物が買えなかった事や、娘の学校の先生に言いたい事が伝わらなかった事もあった。みんなが楽しそうに笑っているのに、意味がわからず私だけ笑えなかった事もあった。
言葉がわかれば、話せたら、楽しいことがもっともっとあるはずだと、3年経ってやっと気が付いた。今は、自学と色々な人達の力を借りてポルトガル語を学んでいる。毎日10個の単語を覚えても翌日には9個は忘れている日々だが、少しずつ前に進めればいいかなと思う。