ブラジル生活に潜む罠は、強盗やスリなどの犯罪だけではない。その一例が、26日付け本紙で報道したような危機管理の甘さから起こる事故だ。リオ市の劇場で、5歳の子が舞台脇の間隙に落下して怪我をした。幸い軽症で済んだようだが、一歩誤れば命を落としていただろう▼会場に居合わせた日本人女性がフェイスブック上に書き込んだ所によれば、劇場長はメディアへの取材に「どこでも起こりうる事故」と軽くあしらったとか。彼女は「事故は、それを予期できる状況だったのに適切な処置を講じなかった劇場の責任」と厳しく指弾する。全く同感だ▼ただ同感ではあるが、「不幸中の幸い」と喜ぶほかないのが当地の現実でもある。仮に女児が亡くなった所で、親は泣き寝入りだったかもしれないのが、残念だがありえる展開だ▼凶悪事件が耐えない国では、警察も小事では中々動かない。不慮の事故(または人災)が大問題になりえるのは、その国で治安が保証されているからだ。これまで自分が大した災厄に見舞われず、平穏な暮らしを享受していることに、しみじみと感謝の気持ちが湧く▼当地ではこのように日々の生活に大小の危険が地雷のごとく潜んでいるので、埋もれていた危機察知能力が目を覚ます。野生動物には当然備わるこの能力は、それが必要とされる状況にないと開花しない。だからこちらで外出する際などは、自然と隙のない険しい顔つきになる▼日本の子が脆弱になるのは、こうした本能が退化するからだろう。逆に、ブラジル人が逞しく野性味があるのは、危険と隣合わせに生きているからだ。どちらが人間社会として理想的かはさておいて。(阿)