主唱者が特に問題としたのは、これから生まれ育ちゆく者や、今、将来を担う若い日本の人たちのことである。「東京裁判」では、日本国は他国を侵略し、そして侵略は罪悪であり、日本人は国際的な罪悪人であると結論づけられ、日本の当時の指導者は有罪となり、7名のA級戦争犯罪人は絞首刑に処された。
もっとも「東京裁判」では、日本の中の特定の指導者が国を侵略戦争に導いたとされ、その他の国民には罪を負わせなかった。だが、言うまでも無く、すべての国民は戦争に協力したのであり、この理論によれば、全日本国民が「侵略幇助罪」に問われるべきであったであろう。
したがって、日本の侵略行為によって被害を受けたとされる中国や韓国は、日本の国内の決定に対しても注文をつける権利があるとされる。日本はそれらの注文について慎重に検討し、必要ならば謝罪するべきであると言うような考え方が、正論のごとく政府のみならず一般人にも浸透しているのである。
事実、日本政府や政府高官は戦後、公式文書や声明・談話だけでも45回に亘って、日本の過去の行政・軍事行動について謝罪の表明をしているのである。その他記者会見やスピーチを含めればこの数はもっと増えるであろう。それも、1970年代まではただの1回であったものが、90年代以降急増しているのである。(注1)
これらの謝罪表明の中でも、1982年8月になされた宮澤喜一官房長官の発した、後に「近隣諸国条項」として知られるようになった声明、1993年に官房長官であった河野洋平が行った河野談話、1995年8月15日に総理大臣村山富市が行った村山談話が特に問題である。
宮澤は中国や韓国からの日本の歴史教科書の内容に関する抗議(もともとそれは誤報に基づくものであったのであるが)を緩和するために、日本の教科書検定基準を改めることを約束したのである。そのため、その後は、歴史の真実を教えること自体が近隣諸国の見解によって制限されることになったのである。
河野談話は根拠が不在であったにも拘らず、戦時中に日本軍が慰安婦の募集や運用に関与したことを認めた点で、日本国の名誉を永遠に傷つけるものになった。村山談話は、日本の植民地支配と侵略によって、多くのアジア諸国の人々に「多大の損害と苦痛を与えたことを「疑うべくも無い歴史の真実」と認めた点で、現在に至るまで深刻な問題を残したのである。
このような考え方になると、日本の国民は、20世紀の前半において深刻な犯罪を犯したので、今後とも連合軍や侵略によって危害を及ぼされた国に対しては、贖罪の念を持って対応するべきであるということになる。この認識自体が著者には、受け入れ難いことなのである。
そのような事象が真実であれば、我々は子孫になんと言って申し訳をすればよいのであろうか。「残念ながら、あなたは犯罪国民の子孫として生まれました。辛いでしょうが、近隣諸国の方々には、控えめに行動してください。」と言い続けなければならないのだろうか。否!である。
これらの読書から明らかになったことは、日本が侵略国家であると言う主張が不当な根拠によって唱えられていることである。確かに日本国海軍は、国際交渉の最中に停泊中の米国太平洋歓待を攻撃したのであるが、公平に考えれば、日米の対立は、1853年に米国のペリー提督が軍事力を背景として開国を要求したときに始まり、中国における利権の獲得競争によって激化し、1941年のフランクリン・ルーズベルト大統領の日本に対する石油の全面的な禁輸と日本の在米資産の凍結によって発火点に達したのである。