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在日日系社会の教育意識=エスコーラ・フジの場合=(7)=教育の先にある老後や介護=求められる教育制度改革

エスコーラ・フジで学ぶこどもたち

エスコーラ・フジで学ぶこどもたち

 外国人のする相談の内容が「年金、病院、介護」に変わってきたとき、各方面へ就職した子供世代が当たり前にいれば、日本人がボランティアをお膳立てする必要はなくなる―と冨田さんは訴える。
 「でもね、学校・幼稚園の先生、保育園の保育士さんは公務員だから外国人はなれない。がっかりしちゃうでしょ」。
 産業界の要請で単純労働者として入れられた外国人は、永住ビザに切り変えた瞬間から「住民」に変わる。その時、地域社会の受け入れ態勢が問われる。今は教育問題かもしれないが、時間の問題で福祉、医療、老人介護にも「地方の国際化問題」は広がる。
 なりゆきでの対応には限界がある。多岐な分野に渡るきちんとした移民政策なくして、外国人住民の受け入れができるのだろうか――。
 国を問わず、外国人受入れの核心は、移民一世世代への対応よりも、二世世代をどう現地社会に適応させるか、移住先社会が求める人材に育てるか―ではないか。
 幼少期から日本の教育になじませるのは一番現実的な方法だ。実際、ブラジル日系社会の二世は、そうやって親と一般社会の間をつなぐ役割を果たし、親の面倒を見ている。
 ただし、外国人の親の側の責任も重い。もっと早い段階で〃覚悟〃を決めるべきだ。親の都合で家族を日本に住ませる以上、子供に日本の教育を身に付けさせるか、ブラジル人学校に入れるか、早い決断が必要だ。ただでさえ大変な外国生活の中で、子供が信じて頼るのは親だけだ。
 かつてブラジルの日本移民は、言葉の問題や老後を子供に頼る部分が大きかった。だが今の日本で、同じことを子供に求めるのは酷だろう。親子が一緒になって苦難を乗り越え、子供自身が納得できる進路を選び、その先に外国人も活躍できる、住みやすい日本が創造される、という道程であってほしい。
 日本は「多文化共生」や「高度人材」という方向性を打ち出し、国際化した社会を目指している。その一方で、国内で生まれ育っているバイリンガル、バイカルチャー人材の教育を見捨てている矛盾した現状がある。
 彼らこそが、将来の「日本の強み」になるハイブリッド(異種のかけあわせ)ではないか。
   ☆   ☆ 
 在日日系人の存在は本来、107年の歴史を持つブラジル日本移民の流れから生じた国際人流であり、入管法改正からの〃新現象〃ではない。
 ブラジル側から見れば、1990年に入管法改正により正式に制度化された時点から、永住ビザを取得できる実質的な「移民政策」だった。一世紀前に日本移民をブラジルに送り出した時に無策だった愚を、いま再び犯してはいけない。
 日本国内の外国籍の子の教育に投資することで20年先、30年先の社会負担はまったく違うものになるだろう。彼ら「中間層」が厚くなればなるほど、日本社会と外国人コミュニティの軋轢は減り、織り成される社会は強く多彩になるに違いない。
 2008年のブラジル日本移民百周年時、ブラジル社会は日本移民の貢献に感謝の意を表した。今や政治・軍・警察などブラジルの主要な分野で活躍する日系人も多数いる。日本ではいつになれば日系ブラジル人が「ハーフタレント」以外の分野でも活躍できるだろうか。
 まずは、外国人子弟受入れのための教育制度の骨組みを見直し、日本に住む子供全員が将来に明確な展望を持て、安心して学べる制度を整えるべきだと思う。(おわり、秋山郁美通信員、深沢正雪記者補筆)


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 1985年頃から激増した訪日就労は、今年30年目を迎えた。それが制度化された1990年の入管法改正からだけで四半世紀。30年前に日本で生まれた二世からは子供(在日三世)も続々と生まれている。にも関わらず、きちんとした受け入れ政策がとられていない。いまだに「見て見ぬふり」をされたまま「外国人」「ハーフ」「日系」として、それを不利な条件とせざるを得ない社会で生きている。