アメリカ人の元バレーボール選手のカーク・キラリー(54)は、84年のロスと88年のソウル五輪のバレーボールで金メダル、96年のアトランタ五輪ではビーチバレーでも金メダルを獲得した伝説的人物だ。
そのキラリーが、バレーボールにおけるブラジルとアメリカの長いライバル関係誕生の秘話を一人称で明かした。
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実は五輪で一番重要な瞬間を挙げろと言われても沢山ありすぎて、できないんだ。
でもあえて一つだけ、本当に偉大な瞬間を挙げるとすれば、84年のロス五輪だ。52年ぶりのアメリカ開催だったからね。
興味深い事に、その52年前の、32年五輪もロスで開催された。84年のロス五輪決勝でのブラジル戦は忘れられない。両チーム共に苦労の末に決勝まで勝ち進んできた。
それまでの両国は、ともにランキング上位ではなかったが、ぐんぐん実力を付けていた。オリンピックの経験も乏しかったが、それまで常連国だった欧州諸国を押しのけて決勝にたどり着いたんだ。
ブラジルには、レナン、ベルナルジ、ウィリアンなど、その後、ブラジルの伝説になる選手がいた。
我々の対抗意識はすさまじいものだった。
大会での対戦はこれが初めてではなかった。予選リーグでも対戦し、3―0で敗れていた。予選リーグを突破したとき、決勝でもう一度ブラジルと当たると確信していた。決勝で対戦できて、我々のモチベーションも最高潮だった。
決勝は我々が3―0で勝ったんだ。チームメイトのスチーブンが喜びの余り、主審のいすによじ登って感情を爆発させていた光景は今でもありありと思い出せる。
あの試合は、その後6~7年に渡って続く、アメリカとブラジルのライバル関係の始まりを告げるものだったのさ。(6日付フォーリャ紙より)