本日から掲載を開始する自分史『死線を越えて―悲劇のカッペン移民』(全10回)は知花真勲さんが自らの体験を書いたもの。5月に刊行されたブラジル沖縄県人移民研究塾(宮城あきら塾長)の『群星』創刊号から、許可を得て転載する。
知花さんは看板屋を営むかたわら、沖縄県人会ヴィラ・カロン支部相談役、ブラジル読谷村人会相談役、野村流古典音楽保存会ブラジル支部・支部長、沖縄三味線師範、サンシンチクヤー(三線製作者)の顔を持つ成功者として知られる。
しかし、ブラジル最初の体験は筆舌に尽くせぬ「カッペン移民」だった。1958年の先発隊は50家族279人、第2次(59年)は7家族43人、第3次(60年)は5家族38人、第4次(60年)は9家族63人の計423人もが、タイトルどおりの「死線を越える」辛酸をなめた。
ありのままのカッペン移民体験が、この自分史には書かれている。
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