私は老童卓球部の仲間である友人から、今NHKで『心の旅』という番組をやっていて、なかなか面白いからと教えられました。私は特別な番組がない限りあまりNHKは見ないので、知らなかったのです。
ある時、彼から「今、岩手県の『心の旅』を放映しているから」と知らせる電話があり、私はさっそくテレビをつけました。俳優の火野正平氏が案内役の番組で、一般視聴者からの手紙をもとに、視聴者の心に残る場所を自転車で訪ね旅する番組です。
この日は、視聴者が生まれた故郷、今は廃校になった小学校跡を訪ねる旅でした。車の数もほとんどなく、道の両側は田圃、人の姿もなく、遠くに小高い山がある田舎町。この番組を見ていて、私もふと生まれ故郷を思い出していました。もう何十年も昔のことを…。
終戦後6年経った頃だったと思います。私は中学2年生でした。私の村は人口もかなりあり、学校も1学年1クラスながら、小学生300人弱、中学生も150人位が居ました。運動会は生徒数の関係で、小・中学校合同で開催されていました。勿論、父兄も参加していました。
その運動会で、同級生の大塚君が、大人に交じって1500メートル競走で1番になったのです。それで彼は、郡の大会に村代表として参加することになりました。どういうことかは覚えていませんが、クラスを代表して私と同級生の女の子と2人で、彼の実家に赤い卵2ダースを届けたことを思い出しました。
その当時、卵などはまだ貴重なものだったのだろう…とは思うのですが、郡大会頑張ってねということだったのでしょう。彼の実家は村外れの粟野街道(栃木市と粟野町を結ぶ街道)の傍にありました。私と女の子で砂利道を歩いて行った記憶が懐かしく思い出されます。
今は私の村も隣の村と合併し町になり、さらに合併して栃木市に編入されました。私が勉強した小学校も分校となり、生徒数は全部でも20人はいないとか。中学校は廃校されました。粟野町も鹿沼市になり、昔の懐かしい想い出の地名は無くなってしまいました。
当時、街道は砂利道で車もほとんどなく、バスが通るだけでした。両側は棚田や丘を開墾した畑。本当に懐かしい風景です。何もかも変わってしまいましたが、その風景だけは昔のままだとか…。大塚君も、田舎の幼友達の手紙によれば他界されたとか…。
本当に昔々の話でああります。諸行無常、移り変わる人の世です。
『人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける―紀貫之』
『たらちねの粟野海道砂利道をセーラー服の君の夢みる―さくお』
『レンゲ咲く棚田の側の砂利道に残る想い出君に恋して―さくお』