コチア青年移住60周年記念式典(広瀬哲洋記念祭大会委員長)が20日午前10時から、国士舘スポーツセンターで盛大に行われる。慰霊碑移転除幕、先亡者追悼法要から始まり、式典には梅田邦夫大使を始め、はるばる日本からは日本国農林水産大臣代理の仙台光仁大臣官房国際部参事官、全国農業協同組合中央会会長代理の一箭拓朗役員室室長、オイスカ・インターナショナル総裁代理の渡邉忠(同副理事長)も出席する予定となっている。50周年にはなんと700人も集まり、団結して慶事を祝した。今回もたくさん参加が予想されている。コチア青年子弟からは飯星ワルテル下議のような人物も輩出されており、さらなる子弟の活躍に期待を寄せ、未来への思いを新たにする祝典になりそうだ。
連邦議会での慶祝式典の最後に、父・飯星研さんが第1次3回だった飯星下議は、「父は66歳で亡くなった。3人兄弟の長男が私。小さい頃、農業をやっていた時代に家族でお世話になった人たちのことを、今でもよく憶えている。母はグアイサーラ生まれで、ピニェイロス区ラルゴ・ダ・バタタにあった高木ペンソンで料理をしていたときに、父とお見合いをした。私にとって、コチア青年の息子であることが何より誇りだ」と語ると会場から喝采が送られた。
「ここには先駆者がたくさん集まっている。勇敢に移住した皆さんに感謝し、その教育を受け継ぐ責任が我々二世、三世にはある」と力強く語るとすすり泣きする声も聞こえた。
飯星研さんは1次3回の渡航だから、1956年2月17日サントス着だ。南雲良治さん(78、新潟県)は「飯星は僕の同船なんだよ。137人が一緒にきた。腹いっぱい食べられない時代でね、芋ばっかり食っていた」と渡伯当時を振り返った。
コチア青年は2508人、花嫁移民は500人が渡伯した。第1次1回の109人を乗せた「アメリカ丸」は、1955年9月15日にサントス港に到着した。2回は11月8日着だから、1回と3回はわずか半年しか変わらない。事実上の初期グループだ。
首都在住の田中淳雄さん(75、福井、1次15回)も「今日は最高だったね。僕はサンパウロに居た最初の頃、飯星研さんの所で働いていた。礼儀正しく実直、真面目な人だった。普通の人の3倍は頭を下げる、とくにかく腰の低い人、そんな印象だな。コチア青年からデプタードがでるなんてたいしたもの。親に似て礼儀正しいね」と懐かしそうに振り返った。
やはり飯星研さんと同期の高橋一水さん(76、高知県)は全青年の「半分はブラジルに残った」と見ている。「高知で生まれ、6歳で満州へ行きったが食うものがない。馬に食わす大豆カスを3年間、365日食べたよ。日本に帰るとき、中国人から米を一握りもらったのを覚えているよ。10歳だった。一度大陸を経験すると、日本は狭いと感じる。帰っても、お前ら好きで外国行ったんだから、と変な目で見られた。下元健吉の講演を聞いて、ブラジルを目指した。4年働いて独立する時、母、父、弟を呼んだ」と振り返った。
首都在住の堀野喜彦さん(84、和歌山)は「今日は本当にめでたい日だね」と喜んだ。三重大を卒業後、55年に渡伯し58~79年までコチア産組で働いた。下元専務の技術補佐も1年間務めるなど、組合に縁が深い人物だ。79年に首都へ移転し、エンブラッパで野菜生産指導などをしていた。
鈴木記久夫さん(75、千葉県、2次6回)は議員の席にどかっと座り、しみじみと「初めて連邦議会に入った。こんなところで顕彰されるなんてありえない事」と喜びを噛みしめていた。
菱沼利昭さん(74、兵庫、2次12回)=ソロカバ在住=は「20歳でブラジルに着た人が80歳になるわけでしょ。僕もこっちきて54年。過ぎ去ったら早いよね」としみじみ語った。「日本の実家は梨を作っていた兼業農家。ブラジルで大規模農業やりたいと思ってきたが、結局町にでて化粧品店をやっている。でも農業に未練が残って、店をやる傍ら一時期1600頭も牛を飼っていたことあったよ」と振り返った。
草島精二さん(78、富山、2次5回)は「僕はブラジリア建都15周年のとき、創価学会の仲間5千人と共に連邦議会でプラカードもって人文字をやったことがあるよ。議会に来るのはそれ以来の2回目。やっぱり晴れがましいときに来れて嬉しい」と笑った。
■ひとマチ点描■「ブラジルには泥棒いない」
ブラジリア在住の荒木滋喬さん(82、三重県、1次1回)は首都式典の折、渡伯前の1955年、福島県で開かれたコチア青年移民講習会でとったメモをわざわざ持ってきた。
「これを見てください。僕はメモしたんですよ、『我が国(日本)ではどろぼうをやらねば生活ができないのではなかろうか。その反面、ブラジルでは一人も泥棒はいない』と。当時の日本はまだ貧しかったことが、このメモから思い出されました。僕は実際に最初アチバイアに配耕され、本当に泥棒が居ないって驚いたんですよ」としみじみ胸中を吐露した。
残念なことに現在の首都では汚職疑惑が花盛り。首都式典に向かった一行はブラジリア国際空港内を歩きながら、新しい建物ながら天井工事など未完成な部分が多く、「ああ、政治家の誰かがこの分をローバ(盗んだ)んだな」といって大笑いしていた。
今からしてみれば、「ブラジルには泥棒がいない」と胸を張って言えた時代があった――ことを偲ぶ貴重な記録かもしれない。(深)