サンパウロ市内の買い物のメッカ、ブラス区に住むタラル・アル―ティワニさんは、買い物客がひしめく朝10時、懸命にパン生地をこね、シリア名物のエスフィハを作ってはオーブンに入れるを繰り返している。
シリアからの難民のタラルさんは、2013年からブラジルに住み、昼食時までに注文された数のエスフィハを作り、届ける生活を始めた。
祖国では機械工だったタラルさんにとり、祖国の伝統料理のエスフィハ作りは、何とかして家賃を払おうとして思いついた苦肉の策だった。
最初は月2~3件の注文しかなかったが、フェイスブックにメニューを掲載し、インタビューにも応じたりする内に、注文は1日2~3件に増えていった。
だが、タラルさんはそれでは満足せず、キッカンテというサイトで、シリア料理の店を出すための資金集めのキャンペーンを実施。レストラン開業の支援をと訴えたキャンペーンで集まった資金は万5千レアルを超え、21日には6万レアルに達するとの希望的観測も出ている。タラルさん自身は方針を変え、現在はエスフィハやキビに特化したフードトラックで商売するつもりでいる。
タラルさんはシリアの首都ダマスコで生まれ、育ったが、内戦が勃発したため、妻と子供2人を連れて祖国を脱出した。
最初はレバノンへ逃れたが、ヨーロッパ諸国へのビザが取れず、2013年9月に「難民受け入れを容易にする」と発表したブラジルに来る事になった。
ベイルートのブラジル大使館からブラス区のモスクに電話をかけ、家族を連れてサンパウロに行くと連絡を入れたタラレさんは、数日後にはグアルーリョス空港で、ブラジル・イスラム教宗教連盟のメンバーと落ち合う事が出来たという。
2011年以降、シリアを離れた人は400万人を超えたが、ヨーロッパを目指す人が大半で、「家族全員にビザを出してくれる国をと思った時、道が開かれたのがブラジルだった」というタラレさんは少数派だ。
フードトラックが入手できるまでの間、タラレさんの料理を食べたい人は、電話で注文した上、タラレさんの自宅まで取りに行かなければならない。メニューの中にはブラジル人に適用させる必要がある品もあったが、注文した料理を取りに来る際、国内に住むシリア人難民のための衣類やオムツ、玩具などを届けてくれる人もいる。
フェイスブックと電話にWhatsAppで難民支援の事をたずねてくる件数は1日500件を超えており、週が開けたら、支援物資を取りに来るよう呼びかけるメッセージも流す予定だ。
「内戦前のシリアは世界で一番良い国だった」と語るタレルさんは、祖国に残した父親と兄弟を「尋ねに行ければ」と言うが、「祖国に戻って一からやり直す気にはなれない」とも。ブラジルでの生活はまだまだ大変だが、「他の国よりはずっと良い」というタラレさんは、今日もまた、祖国の匂いのする料理作りに汗を流しながら、新しい夢の実現を目指している。(18日付フォーリャ紙サイトより)