UNESP(サンパウロ州立大学)のCEDEM(同大学記録文書センター)で17日夜、「日本移民の歴史的正義に関する映画討論会」が行われ、3人の講演に会場が満員となる60人が集まり、戦争前後の日本移民への差別や迫害に関する熱心な質疑応答が行われた。
この討論会は映画『闇の一日』(奥原マリオ監督、12年)をテーマにしたもの。まず、奥原監督は「今年は日伯外交120周年、終戦70年という節目の年。ブラジル政府に対して戦前戦中の迫害に関する謝罪を求めたい。賠償金でなく歴史の見直しだ」と企画意図を語った。
最初の講演者、平リカルドさん(TVクルトゥーラ局ジョルナル・ダ・クルトゥーラ編集局長)は父の兄・平兵譽(たいら・へいたか)の歴史を振り返った。
バストス在住だった平兵譽は、日本の大政翼賛体制を支援すると同時に帰国運動を旨とする体制翼賛同志会を作り、その日本語定款を持って無許可旅行中、イツーで1942年に捕まった。社会政治警察(DOPS)により「国家治安罪」が適用され、49年に恩赦で釈放されるまで実に7年間も収監され続けた。実態として何ら反政府活動の要素がないのに、政治団体を作ったという容疑だけで「7年間も刑務所に入れられたのは拷問。ブラジル政府に歴史見直し請求をするのに賛同する」と締めくくった。
続いて本紙の深沢正雪編集長が邦字紙を中心に、戦争前後の弾圧状況を説明した。三浦鑿(さく)日伯新聞社主は3回もヴァルガス大統領から国外追放され、41年8月には全邦字紙停刊、42年には日系社会指導者がDOPSに捕まって獄中生活を送り、43年に6500人の日本移民が24時間以内にサントス強制立退きをさせられた流れを分析した。
最後にダヴィ・レアル監督(映画『ペリーゴ・アマレーロ』11年、リオ連邦大学)が講演した。「ヴァルガスの新国家体制を日本移民の視点から読み直すべき。その強圧的な体制はドゥトラ大統領に引継がれた。戦中の警察による日本移民迫害の続きとして戦後の過剰な勝ち組弾圧が起きた。過去の過ちを繰り返さないことが重要。でないと〃第二の日本移民〃としてハイチ難民、中国移民らが同じ目に遭うことになる」との警告を発した。
サントス強制立退き時、イタリア移民は枢軸国側だったのに関わらず大半が免れたことに関し、進行役のマリア・レアンドラ・ビゼロ教授は「私はイタリア系。やはり両親はブラジル政府の出方をとても気にして怖がっていた。枢軸国側移民には多かれ少なかれ同様の傾向があった」との体験を吐露した。
質疑応答では「勝ち負け抗争への女性の参加は?」「サントス強制立退きの人たちはどこへ行ったのか?」など多くの質問が出た。CEDEMのサンドラ・サントスさんは「まったく知らない歴史が開陳された。ここに足を踏み入れた時より、遥かに歴史認識を深めて出られる良い機会になった」と評価した。
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