06~10年まで、Jリーグ、川崎フロンターレと名古屋グランパスに所属し、サイドアタッカーとして活躍、10年には名古屋グランパスをJリーグ初優勝に導いたマギヌンを、遠征先のサンパウロ市内のホテルに訪ねた。
名古屋を退団後、11年に韓国Kリーグで1年プレーし、12年からブラジルでプレーしていたが、13年に離婚。母の死と私生活でのショックが重なり、一時プロサッカー選手のキャリアを中断してしまう。インタビューは2度目の命日(9月25日)の翌日の事で、「あのころはとてもプレーできる状態じゃなかった」と自身も振り返る。
13年の後半から14年にかけてはプレーを中断していたマギヌンだったが、再びサッカーへの情熱を思い出し、15年からリオ州1部のヴォルタ・レドンダでプレーを再開した。
「最初は数試合のお試し契約、そこで納得させるプレーが出来ないとクビ、ベストフォームより体重もオーバーしていて、身体を絞る事、プレー強度を落とさない事、試合カンを取り戻す事が求められた。それも短期間でね」と語る。
その後レギュラーに定着したマギヌンは、リオ州選手権1部で3得点を挙げた。主にゲームメーカーとしてプレーし、フラメンゴ、フルミネンセ、ヴァスコ・ダ・ガマ、ボタフォゴといった強豪とも互角に渡り合い、フルミネンセ戦ではマラカナンスタジアムでもプレーしている。
リオ州選手権が終わると、全国選手権3部のトンベンセから声がかかり移籍した。トンベンセは9月27日、サンパウロでのポルトゥゲーザ戦以降は、今年の公式戦はない。
今後のマギヌンの意思は日本にある。「出来れば来年、Jリーグにもどってプレーしたい、代理人にもその線で可能性を探ってもらっている」
5年に渡る日本生活が気に入った様子で、「ブラジルでは給料の遅配もしょっちゅう、契約期間中なのに勝手に切られたり。みんな日本ではあり得ない。経済的な問題だけでなく、日本の治安の良さも気に入っている」と続けた。
33歳という年齢もあり、J1上位チームは難しいかもしれないが、J2まで可能性を広げれば、まだまだ充分に通用する力はもっている。日本への適用リスクもなく、経験も含めて、J2のプレーオフ圏内を狙うチームにはもってこいの戦力だ。
来年、Jリーグのチームのユニフォームを着て躍動するマギヌンが見られるか。(規)