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アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(3)

羊飼いのガウーショ(Foto: Duda Pinto/Fotos Publicas)

羊飼いのガウーショ(Foto: Duda Pinto/Fotos Publicas)

 単身青年のこの二人を呼び寄せてくれた石川庄衛は、この湖に面した土地の一部を借地して、種子栽培の農場を経営していた。この砂丘は、カマボコ状のゆるやかな丘になって海岸線と画しているが、反対側のつまり湖に面する斜面は、割り方地力があり、緑の雑草が繁茂している。石川はこの土地を八十アルケール借地して、タマネギとか、カボチャの種子作りをしたのである。 何故こんなに広く借りたかといえば、この州は、一区切りに土地が何百アルケールにもなっていて、サンパウロ州のような小間切れの土地は探そうとしてもどこにもなく、この八十アルケールは、地主が牧草地として区切ったものを一つ借りたまでのことである。この種子栽培は順調に成功していた。サンパウロ市に本拠をもつ、南伯種子会社と契約して、そこへ種子を納めていた。
 石川は此処へ入植した当座は、サンパウロ郊外の桃園を整理してきた土地代金は、この土地を拓き、小屋を作り体制を整えた時点で、すっかり使い果たしてしまったが、どうにか立ち上がり、それから七年、出荷の種子は品質が良いため、割と高値で会社が引き取ってくれるので、大儲けこそないが、これという失敗もなく順風そのものだった。経済的にも伸びて、長男夫婦は、サンタ・イザベルの町にキタンダを開かせていた。二人ある娘は、ポルト・アレグレの高校に出していた。
 大貫と大盾とは、北海道出身というだけで呼び寄せてくれたが、石川のおおらかな性格が、とかくこの頃トラブルの起こりがちの雇用主と、単身青年の間をうまく持続させていた。
 大貫と大盾は、小学校から高校もずっと同級生で、ブラジルにも同時に渡ってきたのである。いずれも苗字に大の字がつくので、どちらが大貫でどちらが大盾かと見まがうのか、体のがっちりしている方が大貫で、痩せてひょろ長いのが大盾ですよと、つき合いの深い者が、日系人間の噂話によく説明してくれたものである。
 もともとこの辺りは、タマネギ栽培には適した土地であったろう。湖に面する斜面に点々と耕地ができていた。
 種子栽培には冷涼な気候が立地の第一条件であるが、その上、栽培上の制約が付加される。大別すれば隣接地と三キロ以上離れていること、雑種を発見次第抜取り淘汰する几帳面な農業者であることが挙げられる。前者は開花期に、風かミツバチによる雑種交配を防ぐためである。故に隣家も遠くならざろう得ない。純粋種が売り物の種子会社であってみれば当然のことだと言わねばならない。
 大貫と大盾にとっては単調な毎日が過ぎていった。
 そのうちに、「もったいないなあ」という思いが口に出るようになった。牧草である。ラゴアと接する地帯の土地がそのまま遊ばせてあるのだ。湿地帯であるせいか、五十しかも、どの草も飼料としては満点である。