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カルドーゾ大統領の功罪=パラナグァ 増田二郎

 私はこのブラジルに、呼び寄せ移民として1953年に渡伯いたしました。来た当時は漠然と、祖父たちの仕事と同じように農業で身を立てて行くのだと思っていましたが、こちらの食べ物のあまりにもの油っこさに、腎臓炎をおこしてしました。それ以来、農村生活を諦め、15歳で町に出てある商店で住み込み小僧として働き始めました。
 その3年後には、叔父がチエテ移住地の土地を手放し、そのお金で遠いパラナグァ市で商売を始めるから手助けしろと言われ、56年からはコーヒー輸出港として栄えていた町で商人としてスタートを切りました。
 あの当時のパラナグァは競争相手も少なく、素人だった私たちでも何とかやって行け、さらに正札商法が認められたのか、客が付いて軌道に乗り、商売は難しいものではないな、と自信が付きました。
 それから50年間というもの、毎月サンパウロの問屋に仕入れに行き、それらを売り捌いて儲けさせていただいたものです。人並みに新車を買い、住まいも買い、さらには店まで買うことができ、本当にブラジルは天国みたいに素敵な国だと思ってやってきたのでした。
 そして10年前に店を長男に譲った後は、日会中心のゲートボールやカラオケ人生を楽しみながら、悠々自適の生活を送っていました。
 なのに去年あたりから、ブラジルの経済がPT政権のでたらめ運営と汚職続きで左前になり、そのとばっちりを食うようになりました。次の好景気まで踏ん張れるかなと、この年になって少し心配になって来ていました。それで、なぜこんなでたらめな連中に政権を渡したのだ、と原因を捜し始めたのです。
 金は無くとも暇はたっぷりあるので、ブラジル生活60年の薀蓄をかたむけ四方八方捜したら、ありました、ありました!なんと、あの学識豊かで政界のプリンスと呼ばれていた前々大統領のカルドーゾさんの名前が浮かび上がって来たんですよ。何で!と皆さんは驚いた顔をしているようですが、その訳を講釈しいたしましょう。
 まず、カルドーゾさんの功績を思い出してみましょう。彼は学者としての知名度を活かしサンパウロ市長選挙に立候補したのが1985年。その年、名声と落ち着いた演説で他の立候補者を圧倒し、テレビや新聞は当選間違いなしとはやし立てました。
 本人もその気十分で、記者の注文に応じ、選挙の前日に市長の椅子に座った写真を撮らせたのです。それが市民の顰蹙を買い、下位にいた他の候補者ジャニオ氏に票が流れ、落選してしまします。
 でも彼は挫けず、その後は上院議員の席を勝ち取り、93年にはイタマル大統領の右腕として外務大臣から大蔵大臣に昇格。長年国民を痛めつけていたハイパーインフレを退治します。また、プラノレアールを軌道に乗せ、その功績で次の年の大統領選挙に出馬し、見事勝ち取ります。
 政界のプリンスとしての人脈と学者としての見識をもって善政を敷くのですが、政府を支える大臣たちの野望か、あるいは政治仲間の欲望かは判りませんが、米国と同じ再選選挙制度をブラジルでも、と政治生命を賭して議会を通過させます。
 これは彼も公には認めていませんが、「私はこれでブラジル初の再選大統領として、その名前を永久に残せるのだ」と心の隅で思ったとしたら、これこそ彼の犯した数少ない罪の一つでしょう。
 罪には罰がつきものです。その証拠に、再選後の4年間はアジア経済と輸出経済の悪化で世界中が苦しみ、ブラジルもその影響を受けて善政が続かず、国民はそれをカルドーゾ大統領の失策として見ました。それで彼らは、1回くらい労働党のルーラさんにやらせてみようか、と次の選挙で勝たせてしまったのです。
 後は皆さんご存知の通り、労働党は次の選挙、またその次の選挙、そして次の次の選挙に勝つために、公社や公共事業の予算をピンはねし、それを使って選挙に勝って来たのです。
 ルーラさんと労働党の幹部たちは、昔のように汚職を隠れてするのではなく、政治家や高級官吏多数を仲間に誘い、「赤信号みんなで渡れば恐くない」の精神で今日の腐敗を築いてしまったのです。たった1回の『見栄』という罪が、ではないかもしれませんが、これこそ巷で言われている『運命の皮肉』でなくて何と言うのでしょう。