それがカロッサに積む時、毎朝乳缶の蓋をとってみると、どの缶も必ずといってよいほど乳が盗まれている。乳はひと晩置くうちに。上面に黄色い膜を張るものである。その乳の固まりを集めて煮つめると手製のマンテーガができる。それが盗まれるのだ。どうせその分は出荷しないものの、乳も二、三リットルは減っているようだ。毎日ともなれば、小さなコソドロといえども腹が立つ。
大貫と大盾は一計を案じた。
夜のうちにビール瓶をたたき割って、その破片を小屋の入り口にばらまいた。それは毎朝、はだしの足跡が小屋の入り口に残されていたからである。
その日から二、三日してボテコに行ったとき、或るブラジル人が両足を包帯して杖をついているのと出会った。ピーンと来た。「ハハーンこいつだ・・・・・まてよ、どこかで見たことのある顔だ」よくよく考えてみると思い出した。牛舎小屋建築の折、材木集めや柱の穴掘りに使ったことのあるカマラーダだ。どこかうすのろの前かがみに歩いていたあの男だ。
「野郎・・・・・ざまあ見やがれ」とそ知らぬ顔でその場を通り過ぎた。
しかしそれだけでは済まなかった。
それからボテコで逢うたびにカマラーダの目が、下から睨み上げるような陰湿に不気味な光が漂っているようだ。大盾にそのことを話すと、「お前もそんなに感じるか、俺もあいつのヘビのような目が気になっているところだ」というのである。きっと不意打ちに手出しをしなければ、あるいは井戸水や牛の飼料に毒でも入れられるかもしれない。
いずれにしてもあの目は、「今に見ておれ」という復讐の目に違いない・・・。二人は自分たちのイタズラが、少々薬が効きすぎたがため、疑心暗鬼に取りつかれた。
ちょうどそのころ、サンタ・カタリーナ州の小麦植民地から美幌高校の先輩、小楠猛が、ひょっこり遊びにやって来た。ポルト・アレグレまで出荷物の清算に出て来たのでここまで足を伸ばしたというのである。
久し振りにいっぱいやりながら、ビール瓶事件を打ち明けると、「そりゃまずいことをしたなあ、たとえ非は向こうにあろうとも、逆恨みという奴だよ、低脳な奴ほどその執念は怖いものだ、とにかく人の恨みを買うようなことはするもんじゃないよ」先輩らしくお説教をした。そして、「どうだ、それなら俺のとこへ来ないか、俺の隣に18アルケールが遊んでいるぞ」
耳よりな話をしてくれ、その上に、「お前たちこんな日系人の少ない人里離れた所にいたら、いつ嫁さん貰えるか分からないぜ、いまなあ、隣のマロンバスには、もう満植になって四十家族の日系人が集まっていて、会館が建設され、娘たちもようけいるぞ」
この言葉は青年の心をゆさぶった。
小楠は、戦後移住の第一陣ともいうべき先輩で、どのようにして歩いてきたのか、サンタ・カタリーナの中央高原に潜りこんでいた。そこは十五年前に、小麦植民地と名打った政府直轄の移住地であり、ブラジル人の自作農のモデルケースとして開設したところであった。