鹿さんはマキを補充しながら、「おいおい、先ほどのアーリョの話はどうなった」「ああ、あのかぜ薬か」大貫は無造作に言った。
牛はもう手放しにしてしまったし、用のないアーリョだから、「食べたらいい」と小楠の奥さんに差出した。それを使わずに小楠が植えたのである。その一キロのアーリョは、幅70センチ、長さ3メートルの畝に蒔いた。その年に6キロの収穫があった。ところが三球だけ見事なアーリョが混じっていた。
その三つの球は、いずれもピット(茎芯)が、ぴーんと出て、竜の鼻ひげをひねったように、くるりと巻いては先端に花坊主ができていた。ピットはアーリョの生命である。これが出れば収穫のとき茎切れがしないばかりか、小屋につるして乾燥させ、球の上を1・5センチから茎を切り落したとき、切り口に真っ白い芯が見える。この芯のあるアーリョだけは、実が充実して、薄皮は蘆の紙のようにしてつるりととれ、薄桃色の肉質を、白羽二重の皮に全体を包んで、一つの球根として光沢を放っている。
アーリョは冷涼な気候を好み、見かけによらないデリケートな作物である。特に収穫のひと月前は、球が充実する時期である。その年の気候が気温の高い夏であれば、アーリョは二次成長を起こし、せっかくふくらんだ球は、イガ栗がはじけたようにして、それぞれのデンチからいっせいに芽をふく。またデンチを含んだ中皮が、薄桃色から赤味が強くなりすぎたり、紫色に変化したりするのだ。故に新しい品種を他所から持ってくれば、その土地に順応するまでは、いろいろの突然変異が見られるのである。
小楠はこの三つの真珠の玉に値するアーリョを大事に大事にして翌年も蒔きつけた。こうして毎年選抜を重ねてアーリョを作った。もちろんこの頃までは、この良種を分譲してくれという者もなく、自分だけ少量を、フロリアノポリスからやって来る仲買人や、ポルト・アレグレに、セボーラと合わせて出荷して売っていた。
ところがここに思いがけないチャンスがやって来た。そのころ、隣のマロンバス移住地では、先陣に入植した十家族が、ネクタリーナという果物を開発していた。新聞はこのことをでかでかと書きたてた。
それに合わせるようにして、全伯一を誇るK産組から、農産物販売部長・猪瀬力次が、青果物、穀類、蔬菜類などの各係長、それに専属の農業技師を引き連れ、視察団を編成してやって来た。これは組合員の加入勧誘と、将来この地方発展を見越して、K産組支所倉庫を作るための根回しだった。
猪瀬は、「農産物販売の現況と将来の展望」と題して午前中に講演をし、午後はシュラスコを出して座談会を行った。小楠もこの地方の農家として招待を受けたのは勿論である。
小楠は近くにいた技師に林田に、「アーリョを少々持っているが、K産はこんなものも扱うのか」と質問した。「どんな品種か」「それは分からない」こんな問答が交わされた。
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