去る7月の10日から12日にかけてパラグァイを公式訪問したローマ教皇フランシスコは国民過半数の信心深いカトリック教徒に熱烈に迎えられたのみならず一般大衆にも好印象を与え、希望に満ちた光明の証跡を残してバチカンへ帰庁した。
隣国アルゼンチン出身のフランシスコ教皇はパラグァイの歴史に明るく、特にかの忌わしい三国同盟戦争(1865?70)で荒廃し、〃女護カ島〃と化したパラグァイの戦後復興に比類の偉業を成した健気なパラグァイ女性の良い理解者である等から、普通はアルゼンチン人を余り好かないパラグァイ人も大いに親しみを覚え、畏敬するのである。
この愛すべき教皇は各教区で主宰したミサでの法話や若者達への訓話で、昨今の腐敗した政情、社会不安、悪質化する犯罪問題等々について高邁な説教を行ったが、特に美しい未来のホープたる男女青少年層(学生達)に、『君達若者は国政改善の風潮喚起の行動を起こしなさい。然し、良識的な規律を忘れず、整然とした示威運動でなくてはいけません』と、示唆した。
これはカルテス大統領が就任早々国民に対し、「若し我が政府に不満があれば遠慮なく大いに騒いで下さい」と、公言したのに似ている。
高校生デモから大運動に
元々パラグァイの学校教育の質は低くて、生徒の学力レベルも世界で下の部にランクされるが、近来このパラグァイの恥ずべき汚点に目覚めた学生達の政府の無策に対する不満は燻り続けていた。
そして、この「物言わぬ多数派の〃声なき声〃に火を点けた」のがフランシスコ教皇の出身教派イエズス会の当地教育機関、「クリスト・レイ高校」の生徒達だった。
この8月中旬に始まった高校生運動はパラグァイの教育制度の抜本的な改革を訴えたもので、最初は母校の前の通りで唯の「坐り込み」を続けたものだったが、その他の高校が逸早く呼応し、UNA・アスンシォン国立総合大学までが積極的に加わる大デモに発展した。
折りしも、パラグァイの〃ラスプーチン〃とも称される政界の曲者でカルテス大統領の政敵である上院議員カレー・ガラベルナ(赤党)の推薦・擁護の許に獣医学部学長から僅か1年前にUNA大学総長に抜擢されたエンリケ・フロイラン・ペラルタ氏。彼は汚職、縁故主義人事による親族登用や目に余る杜撰な予算流用、女性関係等が新聞沙汰になって、これに憤慨して立ち上がった学生達の抗議で免職に追い込まれた。その結果、3年の刑務所入りの刑を宣せられ、10月1日は獄中で62歳の誕生日を迎えた。
そのようなハプニングは嘗て前代未聞な事で、この度は初めはささやかだった高校生運動が起爆剤になって大学生までを巻き込んだ大デモ勢力になった訳で、カルテス大統領も一日高校生の代表達を行政府に呼んで引見し、対策を約した。
教育の大改革への萌芽
邪道の政治勢力の介入で神聖な学問の「象牙の塔」たるべき最高学府UNA・アスンシォン国立総合大学が綱紀の弛廃、大学独立性の頽廃などで腐敗した事は憂慮に余る国家的教育の大問題で、現行大学法の早急な大改正が求められる。
これは、予想外の高校生と大学生達を立役者にした珍しい最近のパラグァイのメイン政治ニュースである。
そして、この動静は更に多くの問題にも波及し、パラグアイの〃政治将棋盤〃の駒の打ち方に政治家連の反省を促し、新世代に応じた教育制度の具体的な大改革を厳しく迫るものに他ならない。
正に政治を自己利益の為の手段としか考えない政治屋は、無垢な憂国の高校生の動きに始まった今回の学生大デモは、未だ政治に汚染されない純真な若者達の不満の爆発であって、一般市民が無条件に支援する、決して侮れない現実である事に篤と注目すべきである。
なぜなれば、この度の学生運動は学校教育の欠陥改善を追及するに止まらず、波及的に政府全般に蔓延する腐敗や汚職の基本問題を突くものであって、政治屋が下手に抑え切れる動静ではないのである。
若者に熱情に期待
確かにこの学校教育の問題は過去歴代政権から受け継いで来た古い遺産であり、一朝一夕の解決は難しいが、現カルテス政権は具体的な信頼に値する自己の画期的対策、またはその完遂の基礎固めを講じる責任を負うものである。
学生達の追及する要請の根本は、汚職、横暴政治、凡庸政治、投票売買などの諸問題の論理的な解決処置に集約される。
容易い問題ではなく、文部文化省は「全国高等教育協議会」からUNA・国立総合大学の実態調査・監査に干渉官を任命したが、既に二人の干渉官が立て続けに辞任したりしている。
同協議会は文部文化大臣を筆頭とし、官民高等教育界の代表者13名で構成されるが、〃教育産業〃の〃私立ガレージ〃大学の営利主義の声もあって中々話しは微妙な様である。
学生達は、1958年5月10日のパリ学生運動に端を発し、フランス全土に広がった社会変革を求めたいわゆる大衆運動、「フランス五月革命」に因み、パラグァイの不公平で不合理な政治体系改革の実現を目指し、正に「不可能を可能にする」意気込みなのである。
国民の満腔の支持を得ているこの純真な若者達の熱情が、予想される幾多の障害にも屈せず、燃え続ける事を願うものである。