1960年代より、ブラジルの芸能界でプロデューサー、司会者、俳優としてマルチな才能を発揮し続けたルイス・カルロス・ミエーレが14日、リオデジャネイロ市の自宅で倒れ、帰らぬ人となった。77歳だった。
女優で歌手だった母イルマ・ミエーレの息子としてサンパウロに生まれたミエーレは、幼い頃からラジオの子役俳優として活動し、1959年にリオに渡った。そこで、後に幾度となく共同作業をすることとなるロナウド・ボスコリと出会い、彼と共にリオのコパカバーナのナイトクラブ、「ベコ・ダス・ガラファス」の演出者となった。そこで彼は、国内の歌手ではエリス・レジーナやセルジオ・メンデス、ロベルト・カルロスなどのショーを演出、国外からもサラ・ヴォーンやスティーヴィー・ワンダー、バート・バカラックを招いてのショーを手がけた。
同じ頃、ミエーレはボスコリと共に、現在こそブラジル最大手のテレビ局だが、当時は創業して間もなかったグローボ局と契約し、「ハロー・ドーリー」「ディック&ベティ」などのミュージカルを手がけた。
70年代にはミエーレ本人がコメディアンや歌手としてステージに立ち始め、「ファッサ・ウモール、ナン・ファッサ・ゲーラ」「サティリコン」「プラッサ・デ・アレグリア」などのコメディ番組に出演した。
91年には、グローボのライバル局SBTの「カクテル」に司会者として出演した。この番組は、日本でもケーブルTVで有名番組となった、イタリアのお色気バラエティ・ショー「眠れナイト コルポ・グロッソ」のブラジル版としても知られている。
その後のミエーレは俳優としての仕事も多くなり、テレビ、映画、演劇でその姿を多く見せた。最新の出演作は14年のグローボでのミニ・シリーズ「ア・テイア」での上院議員の役だった。
関係者の話によると、ミエーレは前日までは元気で、妻と友人たちと外食にも出かけていたが、13日朝、自宅で倒れ、妻のアニタさんが病院に通報して救急車で運ぶも、息絶えたという。
この訃報に、グローボのナイトショーの名物司会者ジョー・ソアレスは「信じられない」と絶句し、ショックを隠しきれなかった。
埋葬は15日にリオ市海岸部のカジュー墓地で行われ、ブラジル音楽界の王、ロベルト・カルロスがかけつけ、ミエーレの亡骸を前にアニタさんと涙の抱擁を交わす場面も見られた。(15日付フォーリャ紙などより)