兵役召集――ウンチェーと恩賜のたばこ
それから間もなくしてから彼は召集され、八重山(島)に配属された。
そのころ部隊は、ものすごい食糧難にみまわれ、隊長も悩んでいたという。郁太郎は隊長に申し出た。
「隊長、この土地は湿りけがあり空き地も広い、そこにウンチェーでも植えたらどうでしょうか、部隊全体の食菜になりますよ」
と農業をしたことのない若年の隊長はウンチェーという野菜を見たことがない。
「貴様、名前は」
「はい金城と申します」
「余計な口出しだ」、と言われそうで控えめに答えた。だが芯の強い彼は悪いことを言っているんじゃないとの思いから堂々と言った。「私は、此れまで沖縄で百姓をしておりました。お試しにどうでしょうか。」
隊長は、彼の側に近づき顔をにらみ感心した様子。
「自信はあるのか」、
「はい」と力強く答えた。
「ヨーシ、やってみよ、責任は重大だぞ」
「はい、覚悟はしております」
部隊の中に同じウチナーンチュの戦友がおり協力を願い、二人でウンチェー栽培を始めた。隊長は10人の小隊を編制し、その任務に当たらせた。草ぼうぼうの踏み潰されていた広場がきれいな畠に早変わりした。島の気候と湿り気のある土地に合ったウンチェーは、日ごとに成長し、採っても採っても次から次へと芽を伸ばし、部隊の食糧難の解決に役立つことができた。
隊長から恩賜のタバコ一本をさずかり、名誉の「家宝」にしようと大事にしているうちに終戦を迎えた。
復員した彼は、宮崎の疎開先に残した家族の元へと急いだ。そして再会することができた。僅2年間とはいうけれど、子供らもすっかり成長し、父の顔も忘れたのか抱き上げると泣き喚いた。若き愛妻喜代は、髪も長く顔もやつれ、苦労の後がありありとうかがえた。家族は慶び抱き合って涙した。
やがて家族は、沖縄に引揚げ、彼は、元の村役場に複職、荒れた戦後の土地整理事業に従事した。勤務が終わると早足に帰宅、夕刻まで農業をして生計を立てた。そうしているうちに子供もすでに4人も生まれていた。しかし不運にも長男が病死、5名家族の暮らしは役所の給料ではとても間に合わない、それにおい打ちをかけるかのように村の区長に指名された。村の区長は幹部会推薦であるが命令のようなもので、もちろん無報酬であった。ついに村役場を退職して、字内を横切る村道工事の陣頭指揮に立ち、それを無事完成させ役目を終了した。村幹部の方々もその成功を祝し高らかにカンパイした。
さて、肩の荷をおろした彼は、農業に戻り妻喜代の僅かな産婆収入で生計を立てていた。そのころ友人の勧めで米軍の洗濯業に転職した。