ホーム | 連載 | 2015年 | 第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~ | 第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(2)=厳重ホテルに警戒気分=ゴンちゃんガイドで睡魔

第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(2)=厳重ホテルに警戒気分=ゴンちゃんガイドで睡魔

ソンブレロを被る内村さん。強運の持ち主だ

ソンブレロを被る内村さん。強運の持ち主だ

 部屋の冷蔵庫に鍵がかかっているので謎に思っていると、20ドルほどのデポジットを入れないと鍵をくれないという。ふ~む、なかなかに厳重だ。そしてホテルの貴重品ボックスの扉に鍵も鍵穴もない。これもフロントにお願いしなくてはいけないという。なんといちいち面倒くさいシステムなのか…。高齢者が90人もいるのに、チェックアウト時の混雑が容易に想像できる。
 やれやれ。貴重品を持ち歩いて紛失してみなさんに迷惑をかけても事なので、カードや現金をカバンのなかに閉まって行こうとゴソゴソしながら同室の内村俊一さん(80、熊本)と話していると、かつて一緒のツアーで北パンタナールに行っていたことが分かった。
 「そうでしたか~」。蚊が大量発生していたホテルとかゆみを思い出したが、そこで部屋に置いておいた現金を取られたことを明かされた。ベトナムで買った帽子を盗られ、レクラマしたところ、後でそっと返されていたとか。
 初日の移動だけでも、眼鏡を失くし(→ガイドに拾われた)、自分のパスポートを人の荷物に入れ(→後で返してもらった)、記者の前で財布を落とし(→もちろんすぐ拾った)と、ヒヤヒヤする場面を連発しているが、すべて戻ってきている。
 旅行好きで世界中を回っているものの今まで大事はなかったとか。人生と旅のベテランいわく、「パスポート? 命の次に大事だから持っていきますよ!」と即答。内村さんのソルチにあやかろうと、一度仕舞った貴重品を引き出して部屋を出た。
 空港にも迎えに来てくれたガイドはメキシコ人のゴンサーロ、通称「ゴンちゃん」。父親はフランコ時体制下のスペインから1950年にメキシコへ。「だから俺は移民二世だよ!」というが、言葉の苦労はあまりなかったにしても、亡命だったのだかもしれない。

フスカタクシーと笑顔のゴンちゃん。タスコで

フスカタクシーと笑顔のゴンちゃん。タスコで

 さてゴンちゃん、非常に丁寧で親切なのだが、バスの移動中で延々と続く説明は、当然スペイン語のみ。似ているとはいえ、歴史の説明などはつらい。二世でさえ「集中しても難しい」というのだから、そもそもポ語も困難な一世においてをや、といったところだ。ともかくゴンちゃんに、メキシコについて、少々ご説明頂こう
 マヤやアステカといった高度な文明が栄えていたこの地では、紀元前に巨石で有名なオルメカ文明もありました。詳しくは国立博物館に行けば、よく理解できると思います。メキシコという言葉の語源は、アステカの言葉メシトリ(守護神)です。それが変化したもので、スペイン語での読み方をメヒコというのはみなさんご存じの通り。
 まさに今、車窓から見える、あのはためく国旗を見て頂きたい。緑は希望、白は純粋さ、赤は祖国のために流した英雄たちの血を表しています。今走っているこの道の名前もまさに、レボルシオン(革命)なのです。
 現在のメキシコが成立するまで、長い時間と多くの犠牲が払われたことは言うまでもありません。あの有名なメキシコ革命ではーZzz―近くの座席の参加者が睡魔に誘われて桃源郷に足を踏み入れたころ、バスは目的地、「日本メキシコ学院」に到着した。(堀江剛史記者)