メキシコ学院はかつて、日墨学院と言われていた。メキシコの漢字表記は「墨西哥」だからだ。しかし、「墨っていうのも…」という声があり改称されたようだ。
1974年に両国の文部大臣が会談した際に案が出て、同年にメキシコを訪問した田中角栄首相が「早期開設を支援」する声明を発表。翌年に6月に社団法人(LICEO)として発足した。始業は77年だから、今年で38年目を迎える。
なお、今月末ブラジルに来られる秋篠宮ご夫妻は開校20周年(97年)の際に来校されている。
日本人学校と現地校の経営母体が同じというのは世界唯一。日本コース150人(駐在員子弟が8割)含め、計1200人が同じ敷地内で学ぶ。日本政府が設立に関わった日系インターナショナル校といえよう。
一行の説明に立ってくれた春日マリア理事長の説明によれば、現在、日本の自動車メーカー進出に伴い、生徒数も増加している。首都から3時間ほどのバヒオ地区に工場が集中しているため、妻子はメキシコシティに残る家庭も多いのだそう。
渡辺靜雄学院長(57、東京)によれば、月謝は約8000ペソ(6万円)で、平均サラリーマンの月収が2万ペソというから安くはない。
現地大手紙「レフォルマ」が5年前から始めた学力、設備、教師のレベルなどを基準に選ぶランキングで、最優秀校に4回も選ばれている。
参加者らは3グループに分かれ、校舎内を見学。メキシコの有名な建築家ペドロ・ラミレス・ヴァルケスの設計による校舎は、市の文化財になっているという。
陸上トラック、温水プール、幼稚園などもある総面積3万7000平方米の敷地内を見て回った参加者らは、「いやー立派だねえ!」「日本の学校みたい」という感嘆の声と共に、「ブラジルにこれは作れないね~」「大きいだけにまとまりがないから」「そういえば日伯学園って話もあったよね…」との落胆の声もちらほら聞かれた。
校舎内の壁に「海外子女文芸コンクール出品作品」が貼ってある。ある一句が気になった。
「慣れるまで 時間がかかるチラキレス きっと帰れば 一番恋しい」(井上歩花、15、埼玉)
街角のレストランのメニューでもよく見かける。このチラキレス、ホテルの朝食にいつも出てくる。主食であるトルティージャを揚げたものに、フリホーレス(フェイジョン)、サルサ、鶏肉などを煮込んだものだ。これは勝手な想像だが、ずばり「余り物始末料理」と思う。前の晩と同じものを食べるのも興が乗らない。前の晩に食べた刺身をお茶漬けにする感覚ではないか。
メキシコ料理は、ユネスコの無形文化遺産(2010年)にも選ばれるほど。熱烈なファンに怒られそうなので止めておくが、ともあれ歩花ちゃん、最初は「何これ?」と思ったというが、このメキシコ料理のエッセンスが詰まったともいえるチラキレスに惹かれるとは、物事の本質を捉える力量を持ち合わせている。将来太平洋に面した海辺の街で「ああ、チラキレス食べたい…」とつぶやくかも知れない。
しかし、こちらも腹が減った…、と思ったら、バスが止まった。メキシコシティの中心地でカテドラルとソカロ(中央広場)が見渡せる有名ホテルでの昼食。なんと美しい風景なのか。ここはアステカ時代から神殿が立ち並んでいたという。スペイン統治時代も中心地であり続け、巨大なメキシコの国旗がはためいている―。
空腹を忘れかけたころに出てきたのは、金沢の金箔師が料理人かというほどの芸術的レベルで薄く伸ばしたミラネッサ。「これは…肉?」。いぶかる隣の女性。それよりも添え付けだ。大量の生煮えニンジンは記者が兎年と知っての所業か―。
いつメキシコ料理に出会えるのか…という不安を抱えたまま、一行の行く先はホテル。この日の夜が行程唯一の長めの自由時間となった。
というわけでマリアッチ(楽団)を見に行ったグループもいたようだが、記者はかねてから見たかった「ルチャ・リブレ(プロレス)」を見にいく。他の日には、オクムラという選手も出るようだ。ルチャは日本人レスラーの武者修行の場でもあるだけに、声援を送りたかった。(堀江剛史記者)
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国連食糧農業機関(FAO)による統計で、メキシコは、国民の3割以上が肥満という世界一の肥満国。ジャンクフードや炭酸飲料の影響だろう。政府を挙げて、肥満減少に取り組むなか、3年ほど前から学校の食堂でもカロリー表示が義務付けられた。日本メキシコ学院の食堂のメニューでも、スペイン語、日本語、そしてカロリーが書かれている。ちなみにおにぎりも売っていて、一日に70個が出るのだそう。