小雨の降る中、一行はメキシコ国立自治大学(UNAM)へ。1551年創立で、わずか4カ月前に創立されたペルーのサンマルコス大学に次ぐ南北アメリカで2番目に古い大学だ。三人のノーベル賞受賞者を輩出している。
アステカやスペイン植民地時代の歴史が巨大な壁画で表現されている中央図書館が有名だ。約40の研究所や博物館、学部の建物があり、壁画が描かれているものも多いこの大学都市は、07年にUNESCO世界遺産に登録されている。
キャンパスをゆっくりと歩いてみたかったが、時間の都合と雨のため、バスの車窓から眺めるだけだった。向かいにある1968年のメキシコ五輪のメインスタジアムもチラリ。
一路、南へ80キロのクエルナバカへ。気候の温暖さから「常春の町」とも呼ばれ、メキシコシティの喧騒や大気汚染から逃れるため別荘地ともなっている。
スペインのコンキスタドール(征服者)で、アステカ文明を滅ぼしたエルナン・コルテス(1485―1547)が居を構えたことで、コロニアル都市として発展し、古い町並みが内外の観光客を集めている。
コルテスが1529年に建築したカテドラルに入る。これはラテンアメリカのなかでも最古のうちの一つだという。周囲を高い塀に囲まれているが、征服当時、アステカ族の反乱がたびたび起き、カテドラル内にスペイン人らが逃げ込んでいたのだという。メキシコの歴史そのもののような場所だ。
荘厳な内部を見ていると。壁に「EMPERADOR TAYCOSAMA MANDO MARTIRIZAR POR…」(皇帝タイコ様が処刑を命じた。なぜなら…)と書かれた壁画がある。「タイコ様?」としばし考えていたのだが、「太閤様」であることが分かった。
アカプルコからフィリピンに布教に向かったフェリペ・デ・ヘススが乗ったスペイン船が1596年、高知県土佐沖に漂着。おりしもキリスト教を弾圧していた豊臣秀吉の時代。ヘススを含む宣教師6人、信徒17人、日本人修道士3人を長崎に送り、翌年処刑した。
その殉教の様子を描いたものなのだが、メキシコ初の聖人となったヘススが、アカプルコから船に乗り込む前に意を固めたのがまさにこのカテドラルなのである。いつ描かれたものかは分からないようだが、1959年の改装時に幾重にも塗られた石灰の下から発見されたという。
こんなメキシコの古都で日本との繋がりに出会えるとは思わなかった。しかし、日本語での十分な説明がないため、参加者らもこの歴史のドラマに思いを馳せることもなく、通り過ぎていったのが残念だ。記者もガイドに促され、バスに乗り込む。かつて「シルバーラッシュ」で沸いた銀山の町タスコを観光、続いていったレストランでは、「おお! ようやく!」と声が上がるほど待望のメキシコ料理のブッフェ。傾斜地に白壁の家が立ち並ぶタスコの美しい風景を見ながら、食事を楽しんだ。(堀江剛史記者)