ホーム | 連載 | 2015年 | 第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~ | 第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(5)=日墨協会挙げての大歓迎=ティオティワカンに登頂

第44回ふるさと巡り=メキシコ、交流と歴史の旅~榎本殖民地を訪ねて~=(5)=日墨協会挙げての大歓迎=ティオティワカンに登頂

 「富士山通り」に日墨会館は建っている。大きな駐車場にバスが着くと、役員、会員のみなさんが入母屋式の会館前で迎えてくれた。
 第二次大戦中、日本とメキシコは国交断絶し、当時メキシコ市にあつた日本公使館の資金が凍結された。しかし平和条約締結後、55年には日墨文化協定が結ばれ、56年には凍結資金全額(約2200万円)が解除返還された。これを日本政府側は、「両国の親善と文化交流に役立てよう」と地元日系社会で創立された「日墨協会」の会館建築費に充てた。
 創立者であり会長も務めた松本三四郎氏が1万平米の土地を寄贈、コロニアからの浄財も集め、まさに官民一体となった事業だった。いくつかあった日系団体も吸収一本化され、名実ともにメキシコ日系人を代表する団体となっている。
 会館内には、レストランや図書館、日本語教室、プールを含むスポーツ施設なども完備、多くの日本文化イベントも行われている。
 一行は美しく広がった日本庭園に感嘆の声を上げながら会場へと向かった。本橋会長は、和久井伸孝会長、メキシコ日系社会の〃顔〃である春日カルロス顧問らとともに、日系人の塔へ献花、記帳も行い、榎本移民に始まる日本人移民、日系人らの冥福を祈った。
 会場は約150人で埋まり、協会のコーラスで迎えられた。各県別に分かれて座った。
 和久井会長、04~07年にブラジル大使館に参事官として勤務した清水亨公使らが歓迎のあいさつを述べ、春日顧問は、「メキシコの日系人はブラジルの1%しかおりませんが、みなさんの100倍頑張っています!」と会場を沸かせた。
 メキシコ音楽の演奏や余興もあり盛り上がった。同じハッピを着込み歓声が上がっていたのは長野県人会のテーブル。ブラジルの県人会役員が、今回のメキシコ訪問を受け、母県に橋渡しを頼んだ。司会を務めた中村剛副会長(62)や、春日顧問も県系ということで大い交流を深め、「今度はブラジルで会いましょう!」と再会を誓い合っていた。

頂上まで登った参加者も。お疲れさま!

頂上まで登った参加者も。お疲れさま!

 翌日、都市遺跡「テオティワカン」へ。紀元前2世紀に建造されたとされる宗教都市跡だ。入口から見える月のピラミッドが壮観だ。高さ65、底辺の1辺は225メートル。登っている人の大きさからその偉容ぶりが分かる。階段も248段あると聞き、多くの人が途中まで登るだけで記念撮影を楽しんだ。
 時間もないので(このツアーは常に時間がないのだが)、さっそく登ろうと同室者の内村さんに「では後で…」と挨拶すると「自分も登る」というので驚いた。手すりがあるとはいえ、かなり急なので怖い。転げ落ちると事なので、記者は勝手に後ろについた。
 登り切るとはるかに広がるメキシコ盆地の風景が清々しい。1万人が10年をかけ作られたという。ここに20万人が住んでいたのだろうか―。ふと気がつくと観光客で一杯となっている頂上部分に内村さんがいない。 大丈夫かなと思いつつ、下までたどり着くと「遅いですよ~」とばかりに笑っている。この調子では、エジプトのピラミッドでも香川県の金毘羅さんでも大丈夫そうだ。長寿の御利益があるのではと、スーパー80歳の後ろ姿をこっそりと拝んだ。(堀江剛史記者)