サンパウロ 武地 志津
目を凝らし見れば小いさき蟻たちの行きつ戻りつ忙しげなさま
風唸り冷えの厳しき今朝の市客引く声もおおかた聞かず
どんよりと肌寒き日は蟻たちの何処に潜むや突とし消ゆる
聞き馴れぬ音にキッチン見回せば壁のタイルが剥がれふくらむ
近頃の空気乾燥深刻に斯くなる現象起こり得るらし
「評」温暖化による異常気象はいつ何が起こるかも知れない無気味さ。蟻の動きから更には無機物の収縮、膨張の音、研ぎ澄まされた歌人の神経がある。
バウルー 酒井 祥造
捨牧にユーカリ植林望まれて荒草倒すトラクター作業
植林の整地作業に土固し古りし牧跡耕しなやむ
急ぐことなき植林に希望持ついつしか気力体に湧きくる
植付けの予定一万五千本ユーカリ植林終る日いつか
機械化の世に植え穴を鍬で掘る運動代りと朝の作業に
「評」三首目、『急ぐことなき』と思いながらも『湧きくる気力』と言っている。もうすぐ卆寿の作者は、すでに農牧の地を子らに受けつがせている。全伯短歌大会に毎年欠かさない、寡黙な歌人である。
アルトパラナ 白髭 ちよ
何故斯くも争い絶えぬかシリヤ国映像見る度心も凍る
まだかつて見た事も無き難民の数その苦しみは戦争故に
今日も又戦禍の様を写しおりシリヤの国の神は何処に
争いの絶えぬ地球は祈れどもいつの日来るか平和な世界
戦無きブラジルに住み平穏に暮らせる日日の有難きかな
「評」心の底から短歌を好きな人、ぽつんと一人地方に住んでおられ、これほど詠みつづけることの出来る人、しかもこの国生れの高齢者、時事詠ながら作品の骨子が大きいし揺るぎがない。
サンパウロ 坂上美代栄
沖縄に基地を押しつけ国引かぬあちら立つればこちらが立たず
国と県双方引かぬ押合いに如何なる決着つくるものかと
沖縄に同情すれど身代わりの勇気はあらず他県は黙す
七十年を守りて来たる不参戦異論出づれど憲法重し
反戦のデモ行進す若きらよ親の跌踏まず平和を守れ
「評」時事詠、論ずるのは安い、そこの所を穏やかな心で詠み据えている。穏やかとは中庸の心である。『親の跌』と言うには決断を要する、それを敢えて『親』と書いた。世界の政治力学は動いている。
サンパウロ 武田 知子
はるばると六百キロのバスの旅春泥の中弓場の土踏み
稚鴎師の百歳祝いにボーロ切る姿は凛々とまぶしかりけり
弓場の里稚鴎師迎え百歳も六歳の子もなごやかな句座
散策に果てなく続く鈴成りの垂れしマンガは未だ熟れかね
ふくろうも蛙も鳴きてカナブンの飛び交う弓場は田舎さながら
「評」四、五首目の様なところを散策して、心落ちついてこそ、まろやかな歌も生れると言うもの、稚鴎(ちおう)氏を囲んでの句会も、また楽しからんや。
グワルーリョス 長井エミ子
時々はふくろうおとなう山家にもつち音深し草木ほこりて
二人してジャムの一瓶開かぬ蓋外はたそがれもう星光る
どよめきを残し終りぬ大相撲焼けつく春の果てを知らねど
休日の君ひたすらに座りをるテレビの前の舟漕ぐ姿
遅遅として車進まぬ国道の脇の建物落書の数
「評」一、二、三首、上の句につなぐ下句の意、ここに長井作品の詩心が感じとれる。そして四、五首はいくらか気をゆるめたと言うべきか。
カンベ 湯山 洋
何年も遅々と伸びない蘇鉄の木気懸りなれど吾は越し行く
幹回り四米余のマンガの木陰で涼むも終りとなりぬ
ここに来て最初に植えし柿の木の根元の苔よ吾も老いたり
片方だけ枯れずに残る梅の木の小さな花が何故か気になる
七十歳の記念に植えし桜の木主居なくとも満開に咲け
「評」生活周辺の樹木、いよいよ立ち去ろうとする作者の眼。大都市の人間共のまなことは歴然と異なる。何回読みかえしても、一首一首が心にしみる。
バウルー 小坂 正光
二十世紀の文明の世に非道なる首切り裁判東京でなす
戦争は喧嘩両成敗者のみ横暴極まる戦犯になす
武士道の情けを知らぬ連合側人道無視の処刑を行う
敗戦の形取りしがわが祖国アジア解放の偉業をなしぬ
盤石の政権固めし安倍総理祖国本来の改憲をなせ
「評」歴史には『もし』と言ふことはないと言われるが、仮に日本が勝って居たとすれば、両成敗の裁判がなされたか、玉音放送で『ぴたり』と戦意の鉾をおさめた民族であったことを世界が知った今、安倍総理の盤石の改憲と、国民は、今。
サンパウロ 武田 知子
風邪癒えてふらつく足に力をとデナーのステーキやおらナイフを
釣り釜の揺れ動く度び春を呼ぶ炉中のあかり見え隠れして
茶の道を共に歩みし旧き友又の良縁心より祝ぎ
一度だけ彼岸の人に逢えるならいまわの夫の声聞きたしと
テレビより古里映る厳島青春の日々脳裏めぐりて
「評」『デナーのステーキ』が詠まれるかと思いきや『炉中のあかり』が出てくる。世界中を踏破する、茶の道の師でもある、『宗知』の作品世界と言えよう。
サンパウロ 遠藤 勇
二十年我の家族に嬰児(やや)は来ず赤子の匂いなつかしく思う
あどけなく母を見上げて乳を吸うこの愛しさを何にたとえん
春寒や膝のいたみのぶり返し足を温める日向が欲しい
妻不調無理をするなと口見舞い炊事洗濯代わりは出来ず
冬過ぎて日和続きの九月末春を飛び越え夏の日差しが
「評」子を産まぬ世代となると尚のこと嬰児がなつかしくなる。一、二首に、はやく孫も子を産んでほしいのかも知れない、そう思わせる作品である。二首、膝は足、肘は腕のものなので『膝のいたみの』として無駄をはぶいて見た。妻の不調は困る、こんな時に限って夏の日差しが気にかかるのだが。小生も口見舞で通している。
サンパウロ 相部 聖花
道の辺に桑の実ちぎり食む人あり懐かしき実を我も味わう
カトレアの花十二輪一時に咲きて豊けき心地するなり
アマリリス蕾をつんと立ち上げて春待つ姿勢幾日経しや
チャンコ着る犬見れば偲ぶ雪降れば喜び駈ける日本の犬を
愛の神如何に見給うや国境に難民阻止すと金網張るを
「評」桑の実に唇を染めた日も遥かとなった、果物として食べた、ひだる神にとりつかれた様な時代もあった。一気に咲く花、『つんと』した蕾などに眼の向く世代と言いたい。
グワルーリョス 長井エミ子
難民の映像流すをながめをる難民にあらぬ今のわたしが
風落ちて音なき山家昼下り体まるごと心に懈(たゆ)し
昨日今はカンタレイラはワフワフと雨雲被り春の足音
もう少し塩濃くしてと君の言ふ午後のテーブルはずまぬ会話
我家をさかさまにして掃除しておみな去りたる後のしずけさ
「評」會ての大戦で我々は疎開をした。そして移民である我々は難民にあらず。しかし今、大戦が近ずいたら、自費難民が、あのユダヤの民の様にして移動する様な気がしてならない。その下準備も出来ているし、その情報も不足しない。不思議と一首目にそう思う。四、五首、この国の日本人の共通心理が感じとれる。