5日夕刻、6日付紙面の作業を終え、退社前にインターネット情報を再確認していた時、ミナス州の鉱山での堤防決壊の報に気づき、息を呑んだ▼速報が入れられなかった事を悔やみつつ帰宅した後も、テレビで流れる画像から目が離せない。公式発表の死者は9日朝の時点で2人だが、同州知事は鉱山で働いていて生き埋めとなった作業員の生存は困難と述べており、ブラジルの鉱山事故としては史上最悪の事態との予想は現実化しつつある▼7日付エスタード紙には、同鉱山の堤防は13年の調査で危険が指摘されていたが、サマルコ社社長が調査内容は知らなかったと発言している事や、調査結果は同社と同州環境局に届けられたとの同州検察局関係者の発言が書かれている。こういう話を聞く度に、「またか」との思いが走るのはコラム子だけではあるまい▼亡くなった作業員の家族の悲しみはもちろん、泥流が襲った部落の住民達の驚き、脳裏に焼きついた恐怖心、建てたばかりの家などの財産を失った後の虚脱感といったものは容易には払拭できない。28人とされた行方不明者の内2人はホテルにいた事が確認されたと聞いて安堵したが、着の身着のままで命からがら逃げた人々の今後の生活は誰が保障してくれるのか▼入社以来、サンタカタリーナ州、リオ州のアングラ・ドス・レイスや山間部など、各地の水害を見る度に、復興費に金を費やすより予防に費用をかける必要を書いてきた。今回の事故もまた、事が起きてからの費用発生の例だ。平和な日常を奪われた人々の悲しみや苦しみを見るにつけ、何事もない日々の幸せと、それを守るべき立場の人々の責任を改めて考えさせられる。(み)