「親思う心にまさる親心」と日々実感しているブラジル鳥取県人会の本橋幹久会長は、母県への感謝の気持ちを伝えるために、林昭男副知事、斉木正一県議長ら26人の訪問団を迎え、『県費留学・研修制度50周年並びにブラジル・鳥取交流センター設立20周年式典』を8日に同センターで執り行った。
歴代の留学生OBや現在センターを文化サークルの場として利用する人達が式典に参加し、感謝のスピーチや日々の練習の成果を披露した。
99人の留学生・研修生を代表し、県人会理事の西坂幸次さん(33、三世、2010年度)は「先祖の地を訪ね、ルーツ意識を深めることができた。見事な砂丘の光景や梨の味が忘れられない」と思い出深い日々を振り返った。
センターを利用する21の団体からは県の伝統芸能「しゃんしゃん傘踊り」や、非日系中心のダンスグループが訪問団を楽しませ、温かい拍手が送られた。
非日系も在籍するコーラス部は県歌「わきあがる力」、作曲者が県人と言われる「故郷」を会員や訪問団と共に美しく歌いあげた。
県からも県内発祥のスポーツ「グラウンド・ゴルフ」が紹介、実演された。「県人会を中心に普及させて欲しい」という言葉と共に、専用のクラブが贈呈された。
県国際交流財団から県人会へ表彰状が送られ、訪問団と県人会が記念品を交換し合い、友好を確かめ合った。
挨拶では平井伸治県知事もビデオでコメントを寄せ、「センターの活用は嬉しいこと。会員の方々にはこれからも日伯の友好に貢献して欲しい」と述べた。
林昭男副知事、斉木正一県議長、中前隆博在聖総領事、原島義弘県連副会長、飯星ワルテル連邦議、野村アウレリオ市議らも続いた。
途中、県人会創立60周年時より継続される記念事業「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹証明書の授与も、プロジェクト代表の山添源二県人副会長から訪問団に手渡された。翌9日にはサンパウロ市オルト・フロレスタルを訪問し、以前植樹した木々の成長を眺めつつ、末永い友好への願いを込めて新たに植樹も行われた。
県費留学・研修50年=父の一言に背中押され開始=日本の親戚との絆も深まる
他県では中止が相次ぐ中、鳥取県による県費留学・研修制度は今年で50年の節目の年を迎えた。式典には母県への思いを伝えるため、多数のOB・OGが駆けつけた。留学制度開始のきっかけを作ったのは、式典でも挨拶を述べた第1期生の田中勝子さん(76、二世)だ。
田中さんは以前から日本に憧れがあり、訪日を夢見ていた。しかし、滞在費のために「東京でアルバイトでもする」という田中さんの意見に、父が「半端なことをするな」と反対すると同時に、「他県と同様に県に留学を頼んでみては」と提案した。
そんな1964年5月、たまたま石破二朗知事(当時)が来伯。田中さんはこの絶好機をとらえて面会を申し込んで直談判した結果、「検討する」との返答を得た。
その後、短期間の約束で訪日、東京の親戚の家で世話になっていた8月に「県費留学を開始、留学生として認める」との突然の電報が田中さんを驚かせた。
翌年4月から第1期生として一年間、鳥取大学芸学部に留学。郡家町(現・鳥取市)に住み、「ブラジルのお姉ちゃん」として親しまれた。
帰伯後は大学で教員免許を取得、以来30年間勤め上げた。「日本に行ってみて世界の広さを知った。それをブラジルの子どもたちにも教えてあげたかった」。その後の人生に大きな影響を及ぼしたことを明かす。
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一方、西坂勇治さん(33、三世)、幸二さん(31)、健治さん(27)は兄弟3人揃って県費留学生。3月に帰伯したばかりの西坂誉一さん(27、三世)は従兄弟で、親戚の中村西坂れいかさん(42、三世)も研修生だ。
勇治さんは鳥取大工学部に08年に留学、現在は日系の大手自動車部品メーカーに勤務。留学を通して日本語が上達し、昨年は能力試験1級を取得、「社内でも大いに活用している」という。
留学中、倉吉市の親戚と対面を果たし、「遠いと思っていた存在が、すぐ近くに居ることが不思議で妙に嬉しかった」と振り返る。その後兄弟たちも訪日の度に〃里帰り〃の対面をし、留学制度が家族の絆を深めた。
健治さんと誉一さんはともに工学部に留学。帰伯後は、2人揃って最年少理事として活躍中。会計を務める健治さんは「数字が得意だし、少しは恩返しになると思って」と、県人会への報恩の気持ちは篤い。
れいかさんは会計事務所で8カ月の研修を経験、帰伯後は日系企業に就職した。「楽しい思い出ばかり、OGとしてはずっと続けて欲しい」と願っている。
また彼ら留学・研修OB・OGが基金を作り、50周年記念事業として母県の若者に短期間ブラジル滞在をさせる「母県若人招聘事業」も開始する予定。来年3月の実施を目指し、準備が進められている。
鳥取交流センター20周年=開かれ、愛される活動拠点=傘踊りや合唱、日語学習も
鳥取交流センターは1995年1月に着工、同年10月に完成した。大半が県費によるもので、当時の西尾邑次知事、井上万吉男県議長を迎えて盛大な竣工式も行われた。
当時県人会担当の県庁職員だった西原昌彦さん(現鳥取ブラジル会会長)の姿も、今回の式典にはあった。西原さんは94年に来伯し、当時の橋浦行雄会長、本橋副会長らと打ち合わせをした。為替の好影響もあり、会議の結果、当初の改築案ではなく新築案になった。
西原さんは久しぶりにセンターを訪れ、有効活用されていることを聞き、「設立の意義を果たしていると実感する」と感慨深げに話した。
現在21団体が利用している同センターには週に400人、20年間通算すると約50万が利用している。
今月21日にはコーラス部が母県を訪問、20周年記念事業として地元グループ「コールおもかげ」と交流コンサートを行う。コーラス隊の一人、元県費留学生の千田初美副会長は「初めてのことで緊張しますが、練習の成果を見てもらいたい」と意気込む。
また県の伝統芸能「しゃんしゃん傘踊り」グループは県連「日本祭り」等で活躍。県人会では数少ない日本語学校も開校しており、最近子どもの部を新たに開設、親子で日本語に親しむ場所を提供している。
全てのサークルは県人やその子孫以外にも解放され、広く住民から愛される生涯学習の場として活用されている。
挨拶=鳥取県副知事 林 昭男
県費留学生事業が発足して50年。留学生の皆さんが県人会の中核として御活躍されていると伺っており、大変、嬉しく思っています。
設立20周年を迎えたブラジル鳥取交流センターは、県人会の本部として、各種事業に日々利用されていると聞き、センター設立の意義を実感しています。
これからも留学生・研修生制度など交流活動に継続して取り組み、交流活性化を図ってまいります。皆様方におかれましても、日本とブラジルの友好と親善の架け橋として御尽力いただきますよう念願するものであります。
挨拶=鳥取県議会議長 斉木 正一
先人が本県をあとにされ、未開拓地の過酷な自然環境や文化風習の違いなどのご労苦を乗り越え、ブラジルの発展に長らく貢献してこられたことは鳥取県民として大きな誇りであります。
鳥取県では、国際舞台で活躍できる選手を早期から養成するチームを結成するなど、日本のみならず世界から注目される県となるべく、県民一致団結して取り組んでいるところです。
県議会といたしましても、郷土鳥取県を活力と魅力ある自治体とすべく努力してまいる所存でございます。
皆様方におかれましても、本県はもとより日本の良き理解者として、ブラジルとの友好と親善のために御尽力いただきますよう念願いたすものであります。
挨拶=ブラジル鳥取県人会会長 本橋 幹久
この50年間に母県は多大な費用をかけ、99名の県人子弟を受入れてくださいました。各人が人生で得難い体験をすることが出来ました。
もう一つの大切な事業、このセンター設立。現在鳥取県人会は一世会員の高齢化に伴い、減少気味にありますが、活動そのものは衰えることなく活発化しています。過去20年間の利用者数を推定しますと、約50万人ともなります。
「親おもう 心にまさる 親心」と言う言葉が御座います。親は遠くにいる子、出来の悪い子ほど可愛いとも言われます。鳥取県に置かれましては、ブラジル鳥取県人会を今後とも宜しくお願い致します。