10月12日は聖母アパレシーダの日で、3万5千人入る大聖堂は超満員。3日間に延べ15万人がお参りしたという。県連主催の日本祭りの様な人出である。国民の大半がキリスト教徒というメキシコ人も信心深い。
グァダルッペ寺院は日曜日とあって、2万人入る新聖堂のミサは超満員。子供達に白いドレスを着せ花を持たせてお参りしている家族は、地方からやって来たそうだ。
私達は丸い聖堂の壁に沿って静かに歩き、主祭壇の下に潜った。動く歩道からマントに映り出されたグァダルッペの聖母が一瞬見えた。聖母への信仰で病気の回復、安産、子育てなど色々な願い事が叶うとされ、私も思わず祈る。
グァダルッペの聖母はポルトガルのファティマ、フランスのルルドと共に三大奇跡(聖母マリアの出現)とバチカンが認定した。旧聖堂が建てられた場所には、大昔、アステカの女神トナンツインが祀られていたという。
息子に借金してまでメキシコに来た理由は、ペルーのインカ帝国に惚れた事。これからマヤ文明とアステカ帝国に接すれば、アメリカ大陸の主な古代文明を知った事になり、はるかに遠い祖先の親類に触れたい私の望みを叶えてくれる。
グァダルッペ聖堂を後にして、メキシコ市から北に向かう。レフォルマ(工事中)で所々車の渋滞が見られたが、バスは高速道路を快適に走る。週末には大勢のメキシコ市民が公害を逃れて峠の先の別荘地に行くのだと、ガイドのセサル君が説明した。広場や公園が多く深い緑に囲まれたメキシコ市に公害なんてあるのだろうか。
お昼前、テオティワカン(神々の都市)に着いた。メキシコと中米北西部には定住農村村落があって高度な繁栄した文明があり、メソアメリカ文明と呼ばれる。その一つ、テオティワカン文明の中心地で、20万人が住んでいたといわれるこの古代都市は、マヤ文明より新しくアステカ帝国よりずっと古い。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す為に設計された都市で、太陽のピラミッド、月のピラミッド、死者の大通りが基点となって各施設が並ぶ。高さ47米の月のピラミッドに登れば眺めがいいと言われるが、私は高さ65米の太陽のピラミッドに挑戦した。
日曜日は大勢の観光客で賑わっていた。ピラミッドの麓では太鼓の音が響き渡り、鳥の羽の飾りを被った男女が踊っていた。刺青を施した頭や体を敏捷に動かし、盆踊りの様に輪を描き廻る。白い服の神官が煙で人々を清め、何やら叫ぶ。今日は秋分の最後の日だが、先住民の春分の踊りスタンバイと説明されていた。
しばらく見物し、ピラミッド登攀に挑戦。蟻の行列みたいに前の人のおしりにくっ付き、急な階段を登る。下を見ると怖いので、空を仰ぎながらひたすら登る。登る人と降りる人の手が絡み合うロープ。途中の踊り場で列を抜け一休み。太鼓の音が遠くに聞こえた。
ついに頂上に着いた。正に太陽は頭上に輝き、仰ぎ見る私に熱いエネルギーを注いで呉れた。お天道様ありがとう、これから先住民の文明を大事にして緑の地球を守ります。
メキシコ市に帰り、国立人類博物館を見学する予定であったが、日曜日で長い行列に断念。幸いにメキシコ滞在最後の日に入館出来た。外国人観光客や学校の生徒達がいたが、世界的に有名なこの博物館をゆっくりと見学出来た。
そこには、メソアメリカ文明の遺跡が沢山展示されている。写真撮影も出来た。セサル君は流暢な日本語を駆使して先古典期からテオティワカン、アステカ、マヤとそれぞれの文明の違いを説明してくれた。時々難しい日本語が出て来てブラジルに永い我々をドギマギさせる。いや~良く勉強しているよセサル君。
南メキシコのチャパス州にあるマヤ文明のパレンケの遺跡も見学予定だったが、時間的に無理とキャンセルされた。でも翡翠の仮面を覆った、七世紀に在位したパスカ王の遺体をこの博物館で観れて良かったと思う。先住民の文化が残っているブラジルにも、国立人類学博物館があれば良いと思う。
博物館の広い庭に出ると、ジャカランダの大樹のふさふさした葉っぱから出てくる緑色の酸素がそよ風に吹かれて私をやさしく癒した。(つづく)