戦前戦後を通してコロニア野球界で活躍した高柳清さんが、19日午前5時ごろサンパウロ市内の自宅で急死した。脳溢血と見られる。享年93。
1932年、10歳の時に呼び寄せでサンパウロ州バストス移住地に家族移住し、翌年から少年野球選手として活躍。41年にサンパウロ市へ移転し、戦後のサンパウロ野球連盟発足に参画。技術部長として長らく後進育成に貢献した。
74年まで球団コーペルコチアで選手兼任監督を務め、名門に育て上げる。代表監督や審判としても活躍した。66年にパウリスタ・スポーツ賞を受賞。2001~04年には群馬県人会長も務めた。
翌日に葬儀が営まれ、市内のアラサー墓地に埋葬された。初七日法要などは未定。