ホーム | 特集 | 五木ひろし公演 特別写真グラフ=サンパウロ市アニェンビー会場で=熱唱に熱狂、感動を再び=「また来ます!」と約束
4回もあっという間の衣装替えをし、和服でもしっとりと歌い上げた
4回もあっという間の衣装替えをし、和服でもしっとりと歌い上げた

五木ひろし公演 特別写真グラフ=サンパウロ市アニェンビー会場で=熱唱に熱狂、感動を再び=「また来ます!」と約束

 「また帰ってきます」―歌手五木ひろしの34年ぶりの慈善コンサートが、21日の昼夜2回、サンパウロ市のアニェンビー国際会議場大ホールで行われ、当地ファン5千人(合計)は熱狂の渦に包まれた。五木ひろしは35曲を歌い終えると、感動のあまり再会を誓う言葉が自然に口をつき、涙をこぼしながらの終幕となった。日伯外交120周年記念事業に相応しい華やかなイベントになった。

 1998年にサンパウロ市で開催された「NHKのど自慢大会」にゲスト出演した五木ひろしの警備を担当したのが、当時、連邦警察署長だった池田マリオさん。個人的なやり取りの中で「また来たい」との歌手の言葉を胸に刻んでいた彼は、警察官を退職した今、まったく畑違いの興行に挑戦した。
 公演の前、五木ひろしへのサンパウロ名誉市民章授与式の折、今回の発起人で、初めてプロモーターを務めた池田さんは、「言葉にならない感動がある」と感慨無量の表情で語った。
 公演前半は「上を向いて歩こう」「リンゴ村から」等の懐メロ、後半は「よこはま・たそがれ」「ふるさと」等の自らの代表曲を歌い上げた。舞台から降り、観客に握手して回る場面もあり、興奮のあまり抱きつく女性ファンの姿まであった。
 ギターの弾き語りも数曲披露し、ロベルト・カルロスの名曲「アミーゴ」のカバーも34年ぶりに披露。最後は曲に合わせ、軽快なダンスを披露し、大興奮の観客を前に「こんなに嬉しいことはない。また帰ってきます」と涙ながらに語り、舞台を後にした。
 翌22日はサンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市のピニャール移住地、通称「福井村」にヘリコプターで行き、同じ出身地の入植者らと深めた。その後、憩の園にも慰問して故郷を懐かしむ高齢者らに3曲を披露、さらに文協で開催された慈善夕食会にも顔を出す超多忙なスケジュールをこなし、23日に帰路についた。

 

ピニャール=福井村にヘリで降り立つ=見事な太鼓の演奏も披露


 歌手の五木ひろし(67)は、コンサートの翌日22日にはサンパウロ州サンミゲル・アルカンジョ市コロニア・ピニャール(通称福井村)を訪れた。
 同氏は福井県三方郡の出身。主催者の池田マリオさんが協力を要請していた福井文化協会の西川修治会長がピニャール在住であることからこの提案をし、直接の快諾があって実現した。
 正午頃、グループ「飛翔太鼓」の歓迎の演奏が鳴り響く中、特別チャーターヘリコプターで会館横のグラウンドに降り立ち、日伯の小旗を振る住人100人から熱烈歓迎を受けた。
 一人ひとりと固く握手を交わしながら、挨拶に立ち、「ブラジルに来て本当に良かった。また来たい」と、ここでも再会を望む言葉を述べた。
 飛翔太鼓が改めて、全伯太鼓大会で優勝した実力を披露すると、「感動した」のしみじみ語った。さらに自ら上着を脱いで、お返しに見事な撥さばきを披露し、来年日本大会に出場するグループに対し、「一番になって下さい」と激励した。

 イッペーの樹を記念植樹した後、会館に移動。西川会長は「こんな田舎までよく来てくださいました。言葉では言い表せない感動があります」と挨拶した。
 予定には無かったものの粋な計らいで、伴奏なし1曲歌いながら再び握手に回り、住民たちを喜ばせた。同市の小俵ツヨシ市長と西川会長からは感謝状が手渡された。
 同じ三方郡出身で、五木ひろしの大ファンの山下治さん宅を訪れ、当地の果物、ブドウやメロン、夫人が作った草餅などに舌鼓を打った。山下さんは同移住地草分けで、ブドウ生産で有名な山下農園を営む。個人の邸宅を日本の有名歌手が訪問することは珍しい。
 元同移住地入植者で、現在はセアラー州で大規模農業をする大谷正敏さんに、輸出用メロン5箱を頼んだところ、西川会長が「五木ひろしならと言って20箱も送ってきたよ」と笑った。
 その後、再び別れを惜しむ住民の声を聞きながら同地を後にした。