昨年(2014)の10月16日、ア市ABC紙の在カニンデジュ県クルグアツー市通信員パブロ・メディーナ記者と新聞学実習生アントニア・アルマーダ嬢が、地域の闇マリフアーナ栽培地の調査取材の帰途、同県ウペフ自治体の別名〃ネネコ〃ことヴィルマル・アコスタ市長(40)差回しの複数の刺客により暗殺され、しかもその下手人(刺客)は当の市長の身内の者だと言う噂が飛び、政府や市民に強い衝撃を与えた詳細は、同年11月20日付の本紙で報じた通りである。
それで、地域の麻薬犯罪組織に深く係っている疑いがある、同事件の知能犯容疑者ネネコはその後、いち早くブラジルの南マット・グロッソ州へ逃亡し、パラグァイ国警の捜査の手を逃れた。
しか然し、パラグァイ当局の同容疑者逮捕の要請に応じ、南マットグロッソ州警は2015年3月4日、カンポグランデ郡のカアラポー市に潜伏中のネネコを逮捕し予備拘禁の為、連邦警察の管轄下に送検した。
そして、パラグァイ検事総局の意図はブラジル対等機関の連邦検察総局に対し、早急なるネネコの身柄引渡しの処置を求め、パラグァイに於いて同被告を厳に刑事裁判に付す事にあった。
ところがここに於いて、予想外な障害を来たしたのは、ネネコの二重国籍の問題であった。
事実、ネネコことブラジル名のヴィルマル・マルケス・ゴンザレス及びパラグァイ名のヴィルマル・アコスタ・マルケスは同一人物で、いずれの戸籍でも夫々の出生年月日は1975年7月1日となっている。
パ国籍との重国籍容疑者
ブラジルの法律では犯罪問題で自国民の国外への身柄引渡しは禁じられていて、この恩恵に浴すべくネネコはブラジル国籍を終始主張し、色々な法的詭弁を弄してパラグァイへの送還に抵抗していた。
しかし、結果はパラグァイ側の正当論が功を奏し、ブラジル連邦最高裁はネネコのブラジル国籍を否定、ジウマ大統領の最終的批准の許に、同被告の「身柄引渡し」が決定し、去る11月17日(火)に事件より約13ヶ月振りにアスンシォンへパ国空軍の輸送機で厳重に護送されて帰国した。
このブラジル最高裁に依る『ネネコの身柄引渡し』の判決は、折りしも吾が国エンカルナシォン市で11月19?20日の二日間開催された「第19回メルコスール検察専門会議」に出席したブラジルの検察国際問題の権威、ヴラヂミール・アラス検事に依れば、ブラジル司法史上前代未問の「身柄引渡し」の初めての判例となった由である。
アラス検事の話ではブラジルは当初、パラグァイ当局がネネコの生来のパラグァイ人自然国籍の立証ができず、ブラジル国籍の不当性が実証されなかった場合は、絶対に同人の身柄引渡しは認めない方針だった経緯を明らかにした。
この判断に決定的に益した基本的な資料として、パラグァイ検事総局が提出したネネコの戸籍、出生証明書、有権者登録、選挙法廷のウペフ市長立候補認可書、故パブロ・メディーナ記者に対する名誉毀損の起訴状など、本人のパラグァイ人国籍を明証する確固たる一連の証拠書類が絶対的に有利に作用した。
つまり、これ等のアスンシォンから送られた確証資料がなければ、ブラジル連邦最高裁は、過去例を見なかった歴史的な「身柄引渡しの判決」によるネネコのパラグァイへの送還は出来なかったと、アラス検事は評価した。
ブラジルで前代未聞の引渡し
既に指摘した通り、ブラジルでは1988年公布の現行憲法に依り、自国民の国外への「身柄引渡し」の制度は厳に禁じられていて、今回のネネコの身柄引渡しの判例はパラグァイ側の訴状構文に非の打ち所がなかった結果であり、しかも僅か8カ月でこの判決に至った事はオドロキで、特に連邦検察庁のロドリゴ・ジャノー長官の尽力があった事実を見逃してはならないとアラス検事は語った。
なお、連邦最高裁の長官も自身で特に本件の善後策に配慮したが、ネネコの重大な罪状の一つがジャーナリスト殺害の知的犯罪の容疑が絶対な理由として捉えられ、重視されたものである。
世界各国でジャーナリスト殺害事件は昨今頻繁の度を増しつつあり、当のブラジルでも他人事ではない大きな問題であり、この様な事がブラジル当局の今回の「ネネコ身柄引渡し」の判決に反映したと思われる。
ともあれ、ブラジルが執ったこの度の前代未問の「ネネコ容疑者の身柄引渡しの判決」によるパラグァイ本国への送還は、ブラジル司法史上初めての判例だが、一方その根底には両国不変の友好親善関係が厳然と保たれている証だと見るべきである。