「サンパウロFCのゴール!」「まただ! サンパウロFCのゴール!」――。11月19日夜、ヴァスコ・ダ・ガマ(ヴァスコ)対コリンチャンスの行われたリオのサンジャヌアリオ競技場の記者席では、他会場で2位アトレチコがサンパウロFC相手に敗色濃厚な様子を知らせる叫び声が響いていた。
ブラジル選手権大会で、4年ぶり6度目の優勝を目指すコリンチャンスに対するのは、残留を目指し必死の抵抗を見せるヴァスコ。首位独走中にも関わらず、2部降格圏のチームに手を焼いたまま、試合終了残り10分まで、1点リードを許していた。
なぜコリンチャンス対ヴァスコの試合なのに、サンパウロFCのことばかり冒頭で気にしているかといえば、こっちの試合がどうなっても、あっちでサンパウロがアトレチコに勝てば、コリンチャンスの優勝が決まるからだ。
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「おーい、お前ら2位(アトレチコ)が2点差で負けてんだろ。この試合がどう転んでも優勝だろ。ちょっと手を抜けよ!」とヴァスコのコーチ、元Jリーガーのジーニョがコリンチャンスベンチに叫んだ直後、コリンチャンスから同点ゴールが飛び出した。
殺気立つヴァスカイーノ(ヴァスコファン)との衝突を避けて、軍警による厳戒な護衛を受けながら入場したわずか2千人のコリンチアーノ(コリンチャンスファン)からは、早くも「優勝だ! 俺達がチャンピオンだ!」の掛け声を始めた。ああ、そんな掛け声をかけたら、ヴァスカイーノがもっと殺気立ってしまう…。
リオ出身、ヴァスコ寄りのジャーナリストで溢れる狭い記者席では、コリンチャンスびいきのコラム子は、必死に喜びの声を飲み込んだまま、コリンチャンスの同点ゴールも試合終了優勝決定の瞬間も迎えた。
リオに出回る〃指名手配写真〃
話は当日朝に遡る――。リオのボタフォゴ地区の安ホステルのベッドで寝ていると、「なーに調子乗ってベラベラ喋ったんだ。みんなネットに出ているぞ! しかも顔写真付きで!」とサンパウロの友人から電話が入った。
前日夜に見知らぬジャーナリストから電話が入り、私の「コリンチャンス移住」の経緯、ヴァスコには元Jリーガー、ジョルジーニョ監督のインタビューを依頼している事などを話した。そのジャーナリストから「出来れば写真を送って」との言葉に応じ、安易にコリンチャンス監督チッチとの2ショット写真を送ったのがまずかった。
翌日の有力スポーツ情報サイトには「日本人コリンチアーノのジャーナリスト、サンジャヌアリオに現る!」と顔写真つきで載ってしまった。リオでこれを出されたら、まるで〃指名手配写真〃だ。
友人からの「こんなんされてどうやって無事にスタジアム入って戻ってくる気だ? ヴァスカイーノに見つかったら袋叩きだぞ。いいか、変装して、スタジアムには何時間も早くタクシーで行って、じっと記者席に隠れていろ」との忠告も本気にはしなかった。
険悪な仲の両軍サポーター、片や優勝、片や残留のかかる大勝負、現地紙に踊る「リオ軍警特別警戒態勢」の文字。そんな悪条件も、「何事も経験」の意気込みで呑気に乗り込んだ。
スタジアムの最寄り駅まで地下鉄で行ったが、人と目を合わせるのが怖かった。「逃亡犯はこんな気持ちか」と変なところで感心しているうちに駅に着いた。最寄りと行っても競技場までは2キロあるので、バイクタクシーを捕まえた。「俺はフラメンゴファン、ヴァスコなんか大嫌い」と語るドライバーが仲間に思えた。
荒い運転のバイクで疾走するのは、全く怖く無かった。その理由はヘルメット。殺気立つヴァスカイーノの間を縫い、顔を覆って悠々と走るのはむしろ痛快だった。
ヴァスコ指定の記者入り口に着くと、ライフルを持ち、いかめしい顔の軍警に呼び止められ「おい、日本人、今日はゲーハ(戦争)だぞ」とだけ言われた。「だから気をつけろ」なのか、「だからさっさと帰れ」なのかは分からなかったが、もう後には引けない。記者証を見せ、スタジアムに入った。
軍警「おい、日本人。今日は戦争だぞ!」
ここで話は、試合終了時の深夜0時に飛ぶ。
試合後の監督記者会見は両チーム別々に行うとのこと、今回アテンドしてくれたヴァスコの広報に、「ジョルジーニョに直接インタビューは無理でも、そこで少し話は聞けるよ」と言われるも、そこでまさか「鹿島アントラーズ時代の思い出」や「日本が強くなるための助言」を聞くわけにもいかない。
〃泣く泣く〃、優勝したコリンチャンス監督チッチの会見に行く事にした。その場所はなんと試合の行われたフィールド、慌てて駆けつけると、チッチはもう何台ものTVカメラに取り囲まれていた。携帯電話で彼の弁を撮影しながら自分の番をじっと待つ。
ようやく人の波が途絶えた瞬間、コリンチャーノ丸出しで「おめでとうございます! 3カ月前にフロリアノポリスでもお目にかかっていますが覚えていますか」と話しかけると、「おー君か、覚えているよ、コリンチャンスのために移住してきた日本人だろ」と返してくれた。
すかさず祝福の抱擁を交わし、最後に彼が手にしていたユニフォームをプレゼントしてもらった。「プロらしい質問は何もできなかった…」と悔やんでいると、ラジオ局のスタッフがやってきて「喜びの声を聞かせて」というので応えた。
最後には生放送中のDJにつながれ、「バンデイランチス、最高の放送局、みんな聴いてね」と日本語で言って欲しいといわれそれにも応じた。完全に「ミイラ取りがミイラ」状態に。自分がニュースになっては記者失格か。
気づけば深夜1時半、ボタフォゴ地区まで相乗りを頼もうとしていた他のジャーナリスト達ともはぐれた。相乗りを頼む相手は…そうだ! トラブルを警戒する軍警によって、試合後2時間もスタジアムに閉じ込められている仲間のコリンチアーノたちがいるじゃないか。
彼らが隔離されているエリアにも「取材です」と言って入り、友人を探すと簡単に見つかった。事情を話すと、用意周到な彼は軍警の警戒ゾーンの間際にワゴン車タクシーをつけているとのこと。それに相乗りして無事にリオ市内まで帰ってきた。
軍警警戒ゾーンを示す赤く光る回転灯の中をフードを閉めたワゴン車に乗りこんだ瞬間から、記者の仮面を脱ぎ捨て「優勝だ!!!!!」と大騒ぎしながら駆け抜け、ホステルに戻るともう朝日が差し始めていた。(翻訳班 井戸 規光生)