【静岡県発】これまで、デカセギに来た日系ブラジル人の子弟は「公立校でどうにかやっていく」か、「高い学費を払ってブラジル学校に通う」という二択だった。しかし、それだけでは割り切れず、居場所を見つけられない子供の存在や、学校教育のひび割れが浮き彫りになっている昨今、不登校の増加やフリースクールの需要拡大も受け、教育の多様化を求める声は日増しに強くなっている。経済危機や震災を経て在日ブラジル人が激減してブラジル人学校が淘汰される過程で、外国籍の子供たちの教育現場は大きく変化せざるを得なかった。でもそれがきっかけとなって、ひび割れを埋める新たな選択肢も生まれている。静岡県菊川市の教育現場を取材した。(秋山郁美通信員)
お茶の産地として有名な静岡県菊川市。のどかな住宅街にたたずむ一軒家に「こどもの文化センター」の看板は掲げられている。それだけでは一体何をしているところなのかよくわからないが、ここには入れ代わり立ち代わり子供がやってくる。
昼間は幼い子供たちが過ごすブラジル学校「エスコーラ・ブラジレイラ・ソル・ナッセンテ(日の出)」の幼児クラス。夕方からは日本人も含め宿題をする小学生や受験を控えた中学生が集まる「学習塾」。そして、平日夜間や土曜日には「アサヒポルトガル語教室」としてポ語を教えている。
ここは、すべての子どものための複合教室だ。なぜこのような教室が誕生したのだろうか。
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同センターは同市南部、旧小笠町に位置し、松下嘉男さん(61)が代表だ。昨年まで小学校や中学校で教鞭を執っていた。現役教師のときから、教育・進学問題はもちろんのこと、特別支援が必要な情緒障害などを持つ割合が、外国籍の子供には多いのではないかと気になっていたという。
2002年、地域の子供たちのために使ってほしいと父が遺した建物をブラジル人に提供し、ブラジル学校エスコーラ・ソル・ナッセンテを開校した。
初等教育だけであったが、同市ではブラジル学校として初めてブラジル教育省の認可を受けた。
リーマンショック後も少ない人数でしばらく続けていたが、教師をするブラジル人が安定しないこともあり、2013年に閉鎖せざるを得なくなった。
だが松下さんは看板を下ろさなかった。ここを巣立った子が戻ってこられるように、いつでも再開できるように―という願いからだった。(つづく)
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「こどもの文化センター」代表の松下さんは、二宮金次郎の報徳精神を大切にし、学校にも小さな金次郎像を飾っている。子供達には「君たちのご先祖はブラジルで荒れ地を耕し頑張った。日本で改めて金次郎の精神に出会ってほしい、そしていつか社会のために働いてほしい」と話す。ブラジルに住む日系二、三世には日本の日本人が「ご先祖さま」だが、在日ブラジル人にとっては、ブラジルに住む我々日本移民が「ご先祖さま」だ。
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