で、ペオンにその辺に寝る場所を適当に用意してもらい、一同牛缶で夜食を済ませ、ペオンには持参のカンニャ酒を振舞ってねぎらい、自分も飲んだ。
パラグァイの地酒カンニャは銘酒でブラジルのピンガに相当するサトウキビの蒸留酒だが、田舎の山の中で飲むとその雰囲気に良く合って、また一味違い格別である。酒は雰囲気で飲むものだとは、良く言ったものだ。
ラ・コルメナ初代支配人の内田千尋氏もカンニャに魅せられたと見えて、自分で作詞した
「♪パラグァイよいとこ
カンニャがのめて、
己等の暮すにゃ文句ない♪」
という、東京外語大学の「キンキラキン節」を歌曲にした、「開拓賛歌」を残している。
かくして、猛獣の〃来客〃があっては困るので、ペオンに焚き火を絶やさないように注意して就寝した。
ところが、寝付く前に夜空に聳える梢の合間を上向いてを見ていたら、瀬川さん達は気が付かなかったらしいが、〃人魂〃がスースーッと上空を通って行くのを、私は目撃したのである。
私はブラジルで、パラグァイに来る直前に、まだ小さかったが馬が好きで、言い付けられもしなかった家の馬の世話を勝手に一人で遣っていたら、頭の上を〃ボーっと青く燃える火の玉〃がユラユラと通るのを、おっかなびっくりハッキリと見た。
そこで、子供心にも感じたのは近くパラグァイに移る事になった息子を名残惜しくて、亡くなった父親が別れに現われたのではないかと思ったりした。
母親はこの話を聞いて何も言わなかったが、義父は言い付けもしなかった、子供には危ない馬の世話を勝手にしたと叱られたのが関の山だった。
先述の〃人魂〃の話に戻れば、昔ブラジルで見て来た〃火の玉〃を私はまた思い出したのであるが、その日はコロンブスによるアメリカ大陸発見記念日に当る1957年10月12日の夜だったのである。
後で思い当ったのだが、同年10月4日は旧ソ連が世界で初めての無人人工衛星スプートニクⅠ号を、更に11月3日には雌犬ライカを乗せたスプートニクⅡ号を相次いで打上げ、アメリカを出し抜いた快挙で有名である。
私は、そのスプートニク第Ⅰ号の飛んでいるのを奇しくもその晩、調査先のジャングルの中で〃人魂〃だと思って見た訳だ。
翌朝はサア又仕事だ! と用意に取り掛かろうとして明るくなった周囲を見回したら、なんと昨夜ジープを止めて置いた場所は、3メートルもある高い小川の危なっかしい川っぷちだったのに気が付いて驚いた。
移住者の方達も良くご存知だと思うが、テラローシャは農業にはもってこいの沃土だが、少しでも湿ると、石鹸のように良く滑って、車がスリップし始末に負えないものである。
私達が野営した場所もその典型的な赤土で、夜露でスッカリ濡れていて、少し傾斜した川っぷちに置いてあったジープは、ちょっとでも揺らぐと自然に滑り落ちそうな感じで冗談じゃない。