昼寝から目覚め、寝ぼけ眼で先生の足に抱き着くのは1歳のアイカちゃん。まだ言葉は片言だが、先生に促されながら自分でおやつの準備をする。
「泣いてるよ!」。慌てて先生を呼びにくるのは近所の公立小学校に通うナミエさん、2年生(日系伯ボリビア四世)。放課後は毎日、学校から直接「こどもの文化センター」に立ち寄り、宿題をしたり小さな子供たちの面倒を見たりして過ごす。妹たちもこの幼児クラスに通っている。
「ソル・ナッセンテ」幼児クラスには1歳か5歳まで10人の幼児が在籍。言語は基本的にはポ語だが、西語、日語など母語に応じて対応し、授業でも日語・英語も取り入れ、シュタイナー教育を実践している。
菊川市は静岡市と浜松市の間に位置する。浜岡原発、自動車部品工場、茶の機械の工場などが付近にあることから日系ブラジル人をはじめとする外国人労働者が増加し、人口4万8千人に対し約2500人が外国人。その割合は5%を超え、浜松市より高い。
外国人のうち6割はブラジル人とあって、市内には、同センターを含めると3校のブラジル学校があり、高等部まである学校には、富士市からも生徒が通っている。
リーマンショック後の2013年に一端閉鎖された後、「一刻も早く復活させたい」と松下さんに働きかけたのは、もともと同校の教師で、現在校長を務める大岩エリザベスさん(48歳)だった。在日24年。非日系だが、サンパウロ州海岸部のレジストロ市で育ち、日系人男性と結婚し来日した。
「子供のころから日本の文化に憧れていました。特に日本家屋が好きです」と話すエリザベスさんのご主人は大工だそう。
松下さんは定年の1年前に退職し、塾や学校の準備を進めていた。しばらく体調を崩していたエリザベスさんだったが、回復した今年、未就学クラスを復活させ、7月に2年ぶりに子供たちを教室に迎えた。
エリザベスさん自身の娘と息子には、公立の小中学校で教育を受けさせた。「日本に住むのだから日本の教育を受けるのが当然」とし、ブラジル式の教育に未練はないという。「ブラジル学校で教える」というのはそれと矛盾するようだが、同校はただのブラジル様式の教育ではない。
言葉こそポ語が主だが、靴を履き替えて教室に上がる、掃除を自分たちでする、出席ノートにシールを貼るなど日本の学校の習慣を取り入れ、日本の季節の行事も行う。いわば〃日本式ブラジル学校〃か。
遠足は市内を走る路線バスで出かけ、経費を抑えながら地域社会とのつながりを持つ。日本語の授業もあり、就学時にスムーズに小学校に入れるよう意識した活動をしている。
エリザベスさんが育ったレジストロは、日本移民が始めた「灯ろう流し」が地域の誇る伝統行事になるなど、日系人と一般市民が調和して生活する街だ。「親は子供にブラジルの言葉や文化を忘れないでほしいと願っている。でも生きているのは日本の社会。どうしても入っていかなくてはいけない」と考えるのは、入り混じる両文化を子供の頃から受け入れて育ったせいだろうか。(つづく、秋山郁美通信員)
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シュタイナー教育を取り入れる菊川市のソル・ナッセンテで、いちばんの悩みが自然の庭がないこと。こどもたちはアスファルトの駐車場で駆けまわり、もともとあった古いプラスチックの遊具で遊んでいる。「できれば菜園を作って子供たちと育てたい。リフォームしてくれる日本のテレビ番組に応募したんだけど、ダメでした」と笑うエリザベスさん。ブラジルの銀行や日本の商社にも支援を求めたそう。加えてポ語の絵本や教科書も少ない。「こどもたちのための支援待ってます」。ブラジルからポ語の絵本や教科書を送る運動をしてもいいのでは。
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